世界は称賛に値する

日記を書きます

哲学思考トレーニング

哲学思考トレーニング (ちくま新書 (545))

哲学思考トレーニング (ちくま新書 (545))

P.16

 たとえば、「読者にたくさん考えさせる文章がよい文章だ」という評価基準で考える人たちも哲学研究者の中にはいる。この基準からすると、一見矛盾したようなことを言ったり、比喩的な言葉をたくさん使ったりしたほうが、読者もたくさん頭をひねるのでよい文章だということになる。逆に、論理の明確さにこだわる英米系のわかりやすい文章は「つまらない」と一刀両断されてしまう。要するに、文章というものを何かを主張したり伝達したりする媒体だと考えず、思考触発装置だと考えるわけである。わたしはこういう立場も決して否定するわけではないが、少なくとも本書で考える哲学的クリティカルシンキングはこの立場とは対極の考え方である。
 あるいは、「理屈や根拠はともかく、うがったことを言ったほうが勝ち」というルールのゲームをしているように見受けられる人たちも哲学周辺にはいるようである。正確にいうと、学術誌ではあまり見ないが、哲学っぽい一般むけの文章にこうした傾向が見られるように思う。こういう人たちは、哲学的考察の結論が突拍子もないところに落ち着くと(そういうことはよくある)喜んでくれるが、常識的な線に結論がたどりついたらがっかりする。哲学の一番の醍醐味は結論ではなく、結論に至る論証のプロセスだと思うのだが、そこを楽しんでもらえないのは残念な限りである。
 ここで「哲学的」という言葉の使い方をめぐって争うつもりはない。お互いにどういうものを「哲学的」と考えているかについて了解がとれれば、あとは平和共存していけばよいのではないだろうか。