世界は称賛に値する

日記を書きます

読みやすさ

 不意に感じたのだが、私は今のところ『リーダビリティ』という言葉をあまり信用していないようだ。リーダビリティが高い、という感想をどう評価すればいいのかまだ判断しきれていないせいだろう。要するに『読みやすいことは絶対正義!』なのかどうかがわからないのだ。読みやすさよりはおもしろさのほうが重要だろ、と言われたらおおむね賛同するつもりだけれど、読みづらいよりは読みやすいほうが重要だろ、と言われても、安易に賛同する気になれない。読みづらいけどそれが良い、と言えてしまうような書物がどこかにはあるのではないか、という予感が私の中に存在しているからだ。そう予感している限り、リーダビリティが高さが良い、という感想に対する不信感は消えないのだと思う。