世界は称賛に値する

日記を書きます

裏切られるものの持つ価値

 人間は価値観というものを持って生きている。それは要するに、人間は『これには価値がある』とか『これには価値がない』とか考えながら生きている、ということだ。そして価値観を持って生きる我々人間にはおおむね、おのれに対して、価値がある、と思いたがる性質があるらしい。そういう先天的な欲求があるようだ。自分に対して価値を感じるということは、つまり自分を見て、こいつは良い、と感じるということである。どういう時に『こいつは良い』と感じることができるのか。ひとつは、自分は世界に対して良い影響を与えているようだ、と判断できる場合であろう。無論『世界』などと言っても、それほど大袈裟なものではない。友達や会社――自分のまわりにあるそういったものの総称が要は『世界』というものだからだ。人から褒められたり認められたりすることが、おのれの価値を信じるための根拠になりがちなのは、人から認められるということ=人に良い影響を与えているということ、という図式の成立を信じているからだろう。裏切られて憂鬱になったりするのは、アンタのことなんて全然認めてないよ、と言われているようなものだからであり、それは換言すれば、アンタは世界に良い影響なんて全然与えられてないんだぜ、と言われているようなものだ、ということだ。裏切りは基本的に否定なんだよな。