世界は称賛に値する

日記を書きます

まだやれることがあるはず

 理想。理想とは現実のことではない。現実を見て、むしろこうであればいい、と思うことが理想というものの形だからだ。つまり、私の理想はこうだ、と言うことは、今はこうではない、と宣言するに等しい。そして同時に、それは、自分の価値観を宣言することでもある。理想というのは通常、良い、と感じる方向に向かって見るものだからだ。だから私が、悩んでる人の憂鬱を少しでもいいから解消させられる人間になることが理想だ、と言うことは、今の自分が少なからずそうでないことを意味するし、同時に、人の悩みを解消させられない人間よりは人の悩みを解消させられる人間に価値を感じている、ということを意味するのだ、というようなことを考えていた。昨日の、友人の憂鬱具合にうまく対処できなかったことが、ちょっと尾を引いているな、と思う。ああなんで俺はこんなに愚鈍なんだろう、というような雰囲気のダメージが残っている。土曜日にもかかわらず、店はそこそこ暇で、それなりに余裕があった。夕方には雷が響き始めて、まばらだった客がさらに減った。手伝っていくほどのことでもないかな、と感じたので、珍しく定時に帰ることに決めた。余った時間を利用して、帰り際、勤務先近くのブックオフに寄る。もともとは『理科系の作文技術』という新書を探していたのだけど、残念ながらここには売っていなかった。どこかのブックオフで見た記憶があるのだが……。私が頻繁に利用しているブックオフは3店。残り2店のどちらかで見たのだろう。じゃあさっさと帰って本を読みながらゲームでもやるかな、と少しワクワクしながら帰路につく。にもかかわらず、テンションの上がりきらない自分がいることにも気づいていた。昨日の憂鬱がやはり尾を引いていたわけだ。なんでこんなワクワクしてんのに裏でこんな暗い気持ちになってなきゃいけないんだよちくしょう、というようなことを考えてしまった。ちょっとあいつのあのへこみ具合をもう一度どうにかせねばなるまい、と考える。悩みの原因を、無関係な私がどうにかできるわけではないし、悩みに向かってしまっている思考を、そうでない方向に向かって簡単にねじ曲げられるとも思ってはいないが、多少元気づけるくらいのことはできるだろ、なんてことを考えていた。そんな風に目の前でへこまれてるとそれをどうにもできない俺が自分の無力さに鬱になるんだよ。だからおせっかいなのはわかってるが元気づけさせるくらいのことはさせてくれ、的な思考が私の基本にはあるらしい。ちなみに、おせっかいになるかどうかはコントロールにかかっている。見誤らないようにしないとな。