世界は称賛に値する

日記を書きます

称賛が良いのかわからないものの

 中学生とか高校生の書く文章なんてたいしたものではない、というような意識があるのは、結局のところ自分がそうだったからだ。かつての自分が愚かだったから、同じ立場にいるほかの人間にも愚かでいて欲しいのである。まったくもって虚栄心の境地だな、と思う。今の私は自分が超えられることに不満じみた思いを感じているのだろう――だが、誰も俺を超えられない、なんて思うことが許されるほどの努力をお前はしていたのか、というわけだ。中学生だったころの私や高校生だったころの私が「なんて視野の狭い馬鹿で愚かな人間だったんだろう」と思えてしまうような、ちゃんと自分で考えて生きている中学生や高校生が、世間にはやっぱりいる。たとえばネットでそういった人物の書いた文章に出会うことがある。だけどそこで、悔しがってる場合じゃないんだよな。なんて言ってもきっと感じてはしまうのだけど。でも、同時に、感嘆とか愉悦とか尊敬とかだって感じるわけで、重視すべきはきっとそちらのほうなのだろう。でもホント悔しいな。もっと本をたくさん読んでいれば多少はマシな中学生でいられたんだろうか、なんてどうしても考えてしまう。今思えばラクに読める本しか読んでいなかったからなあ。甘かった。