世界は称賛に値する

日記を書きます

堀江貴文氏について

▼批判を喰らうかもだけど、思ったので書いておこう。堀江貴文氏の持つ世界観を、おおむね私は支持している、と言っていい。彼のような世界観の人間ばかりであれば、世界はもっと良くなるのではないか、とさえ思う。そんな世界はつまらない、と言われるかもしれないが、彼のような人間ばかりの世界であれば、そういった『つまらなさ』が登場する余地はあるまい。彼の世界観が浸透することを邪魔しているのは、彼の持つ合理性の強い世界観を『つまらない』と排除してしまうような人間たちなのだと思う。
▼しかし、現状の世界には、どう考えても、彼の世界観を『つまらない』と感じてしまう人間ばかりがいる。私だって例外ではない。礼節も幻想も実際には無駄である(自分の感情を満足させるだけのものでしかない)ことをある程度認識していながら、それでもそこから逃れられないでいる。たとえばライブドアには社長室がないらしくて、そんなものなんで必要なんですかね、と堀江氏は言っていたし、私もその思考には賛成なのだけど、にもかかわらず私は、社長室を与えられたら確実に喜んでしまう人間なのだ。
▼個人レベルで言えば、堀江氏のような世界観で支配された社会に対して私は、つまらない、と感じるのだと思う。実際にそこに生きていたら、息苦しくさえなるだろう。だけどそれは『俺が楽しめない』であって、それ以上でもそれ以下でもない。無論、自分が楽しめないんだったら世界がどう変わろうと意味はない、という信念があるならば、その『俺が楽しめない』を根拠に、堀江氏の世界観を批難してもおかしくないと思う。しかし、私にそういった信念はない。だから、たとえば、世界で起こる戦争の何割かが確実に減ったり環境問題がもうちょっとマシに改善されたりする、けど、あんたにとって世界はつまらなくなる、というような世界観がある(堀江氏の世界観に対して私はそう感じる)のならば、個人的にはそれを安易に批難することはしたくないなー、とか思ったのだ。
▼エクスキューズつけてしまうけど、実際に堀江氏の生活を見て語っているわけではないから、実際には彼はこんなことをしてるんだからその考えは変だ、という声はあるかもしれないし、無意識的なバイアスがかかって盲目的になっているところもあるのではないかと思う。だからって別に文責を負う気がないという意味ではないけれど。

▼下の方のインタビュー読んで思考。
http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_40.html