世界は称賛に値する

日記を書きます

PLAY:ドラゴンクエスト8『本日の総括』

ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君▼ベルガラック到着後から、サザンビーク到着してすぐのところまで。サザンビークでは街の探索を終えただけで、城には入らなかった。要するに次回はそこからの再開になるだろう。レベルは25ほどだ。スキルに関しては、悲しいけれど、特筆するような変化はなかった。とりあえずキラーパンサーに乗れるようになったのが今日の幸せだ、と言っていいかな。▼ドラクエ3あたりの主人公が移動する姿と、今回の主人公がキラーパンサーで世界を駆ける姿を、頭のなかで交互に思い浮かべると、どうしたって感嘆と感慨を感じてしまう。すげえな、なんて呟きつつ、苦笑を浮かべたくなる気持ちだ。ゲーム機は進化を遂げて、映像もずいぶん綺麗になった。無論綺麗になったことだけがすごいわけじゃないし、綺麗になったからといっておもしろくなったってわけじゃないかもしれないけど、でも、すげえなって言いたくなるのは確かだ、と思う。そして、その、どちらがドラクエらしくてどちらがドラクエらしくない、なんていう、そんな議論は、そういう驚嘆の前では無意味だよな、と痛烈に思った。▼限界のなかで試行錯誤して生み出された表現が、それらしさ、なんてものを、完璧な形で持つわけがない、と考える。百キログラムの粘土があれば精密で美しいドラゴンを創生できる人間が、十グラムの粘土を渡されてそれで必死になにかを作ったからといって、そのなかに『その人らしさ』なんてものが完璧な形で含まれている、なんて考えてしまうのは、愚だろう。同時に、その十グラムの粘土でその人が必死に作ったものを見て、いくら感動したからといって、百キログラムの粘土で作られた大きなドラゴンを見たときに、こんな大きいのは『らしくない』と言ってしまうのも、愚だろう。それは結局のところ、らしいとからしくないという問題ではない。発言者の経験の順序が見せる幻の正しさに過ぎない。人間は最初に信じたものを正当だと感じる、ということの一例かな。▼だから、今回のドラクエ8に対して、ドラクエらしくない、なんて言ってしまうのも、短絡が過ぎるのだと思う。ドラクエというのはきっと、もともとこういう可能性を持って存在していたのだ。今までの表現力のなかでは今までのものができたし、今回の表現力のなかでは今回のものができた、ということに過ぎないのだと思う。ドラクエの進化に対する驚嘆は、そういうことを感じさせてくれるな、と思った。って要するに賞賛したいだけか俺。まあ、賞賛には値する、とは思う。素敵な作品ですね。