世界は称賛に値する

日記を書きます

安請け合いと自己満足

▼来客数的には暇だったのに、いろいろ作業をまとめてやろうとしすぎて忙しかった気のする日、という感じでまとめておこう。個人的には、なんでもかんでも「ああそれくらいならやっときますよ」と安請け合いしていると、たとえそのひとつひとつなんでもないことだったとしても、積み重なって大変になっちゃうよ、ということをひさしぶりに実感した日、という感じだ。まあしかし、頑張っている人を助けられる範囲では助けたい、とか思ってしまう傾向を抑制する気は毛頭ないし、物理的に不可能、というならともかく、大変だから、という理由で日和るのも、基本的には嫌だ。そのへんは私の人生に対する理想像の問題だから、むしろそれでいいのだ、と思う。確かに余裕のある一日ではなかったけれど、後悔はない。充足感が強い、と言ってもいい。これは幸せなことだろう。▼今日からの新人さんがいて、まずはその指導を行った。と同時に、朝番が残した売場変更の補完を行った。後者はやることがいろいろあって、結局ほかのスタッフにも手伝いを頼むことになってしまった。感謝だ。ただし全部は終わらなくて、残念でもあった。新人さんは問題なさそうな感じだが、まあまだ判断を下すのには性急がすぎるかな。あとは、もう間もなく12月なので、商品の移動なども行った。▼電車のなかでここのところ読んでいるのは、永井均氏の『私・今・そして神』である。おもしろいが、きっと理解不十分なんだろうな、と思う。前に同著者の『〈子ども〉のための哲学』を友人に貸したとき、理解が追いつかなくて読み返しながら読んでるからもうちょっと時間がかかるよ、なんて言われたことを思い出した。その気持ちがよくわかる、と思った。私の場合、こどてつは、いちおう理解できていたと思う。理解不十分、という感覚があまりなかった。たぶん、自分がそれまで抱えていた問題意識と近いものが語られていたからだろう。しかし、今回のこれは違う。こどてつで語っていたもの(つまり、私の抱えていたもの)を越えて、その向こうまで行ってしまった、という印象だ。私がサボっているうちに、一歩も二歩も(ともすれば追いつけないほど)先に行かれてしまった、という印象かな。驚嘆と賞賛を感じる。そして、そんなところまで行けたのか……! というような、新鮮な衝撃にも襲われた。