手助けのための仕事と尊敬できる人間

▼読み途中だった成田良悟氏の『ヴぁんぷ!』を読んでいたら、突然ツボにはまって結局最後まで読みきってしまった。それほどおもしろかったということだ。いずれほかの作品も買おう、と思った。▼読み終えてから、出かける準備。仕事は午後2時からだ。読む本がなくなってしまったので、出かける前に次の本を選ぶ。選んだのは、買っていながらまだ読んでいなかった永井均氏の『私・今・そして神 開闢の哲学』である。楽しみすぎてなかなか手に取れなかった一冊、と言っていい。そして、万全の態勢でないと理解して楽しむことができないかもしれない、と恐れていた一冊だとも言える。▼店は比較的混んでいた。先週のキャンペーンの余波であろう。時間のかかる仕事を割り振ったスタッフが終わらずに苦労していて、もっと早く来て手伝ってあげれば良かったな、と思った。しかしいつもそんなことを思っているな、と思う。思うだけでなく実践しろよ、と言わざるをえない。判断が楽観的すぎ。▼夕方をすぎた頃にはわりと余裕が出てきた。ので、たまっていた仕事を手早く片付ける。同時に、朝番の担当者に頼まれていたこともあって、売場の変更も行うことにした。夕番の担当スタッフに指示を出して頼む。途中で状況を見て、時間的にきついかもしれないな、と判断できたので、手伝うことにした。が、手伝いに没頭していたら終電を逃してしまい、結局一駅歩くことになってしまった。ここ最近ちょっとこのパターン多いな。まあ、運動不足解消、ということで納得しておこう。実際運動不足は否めないわけだし。▼一所懸命働いている人を見ているのは好きだ。傲慢な意見かもしれないが、評価できるからである。そして、評価できるというのは、時に、尊敬できるということだからだ。つまり、尊敬できる人を見ているのが好き、と思っているわけだ。だからどうだってわけではないのだけど、仕事中、ああこの人頑張ってんなー、と思える人がいて、純粋に、いいな、なんて風に思うのだった。問題は、仕事面で頑張っているからといってほかの場面でも同じように頑張っているとは限らない、ってことなんだけど。