世界は称賛に値する

日記を書きます

よく寝てよく働いてよく歩いた

▼前項の理論がどの程度の信憑性を持つのかはかなり不明瞭だ。しかし、そういう話を聞いたことで、そのあたりについて意識するようにはなった。というわけで、昨夜は、意識してそれなりによく寝た。ちょっと疲労がたまっているようだ、という自己認識があったことも、そうした理由である。起きたのは午前11時。仕事は午後2時からで、家を出るのは1時だ。正午には食事をとってシャワーをあびるから、それまで1時間ほどの余裕がある。▼その1時間で、作業途中のPOPの作成に乗り出した。できることなら昨日の出勤前には完成させて利用したかったのだけど、想像以上に時間がかかってしまい、結局いまだ半分程度しか完成していないのである。なので、今日は完成させようと思った。絵を描くこと自体は単純にとても楽しい。おかげで、ここ何日かはそれだけでかなりの時間を消費しているくらいだ。まあしかし、それだけの時間を消費しただけあって、利用中の画像作成ソフトである『PictBear』の操作にもだいぶ慣れてきた、と思う。レイヤー機能の有用性にもようやく気づくことができた。そして、活用できるようにもなってきた。▼こうしてパソコンで絵を描いていると、はるか昔に使っていたペイントソフトのことを思い出す。まだOSがMS‐DOS全盛だった時代の話だ。そのソフトには当然、レイヤーなどという高度な機能はなかった。ただ色を塗るだけで精一杯だったし、その色塗りにしても、たいして細かくはいじれなかったと思う。ホントあれは無能だったな、なんて、今の機能と比較するとどうしても思ってしまう。ちなみに、レイヤーという発想があの時代にはもう存在していたのか、それともなかったのか、は、私のなかでは謎だ。結局12時にはPOPを完成させることができた。家を出る直前にそれを仕事場にメール。印刷は向こうで行う予定である。▼数日前に、もうちょっと気合を入れて仕事をして、自分の納得できる実績を残そう、と決意した。と言っても別に、バリバリ働くぜ!というような決意ではない。自分の納得いかない怠惰を排除しよう、と思っただけである。そして、そうすることが、より『自分の目指す高み』に近づくための道のりだと思ったからだ。▼やろうと思いながら、結局やっていないことが、今の私にはたくさんある。仕事面でも趣味面でもそうだ。それをどうにかしていこう、と思ったのだった。したい、なんて思っているだけでも、するよ、なんて言っているだけでも、基本的には駄目で、他者からは普通、やったかどうか、で評価される。なぜなら、口で言うだけなら簡単だからだ。▼山田ズーニー氏の『あなたの話はなぜ「通じない」のか』を昨夜読み終えてしまったので、次に読む本を決める。さっさと読むべきなのは、途中まで読んでもいる『シンセミア』なのだけど、電車のなかで読むには重くて大変なので、通勤中に読む本にしたいとはあまり思えない。最終的には、黒田龍之助の『はじめての言語学』を手に取った。途中までの感想だが、滅法おもしろい。というか、わかりやすい、と言うべきかな。まあ、わかりやすいと思えるほどのところまできちんと解体している賢さが素敵、なんてあたりが的確な表現だろう。多少複雑なものごとでも、当たり前じゃん、と思ってしまえるようなところまで解きほぐすことで、わかりやすく語ることができる。それを、かなり明快に実演してみせてくれていると思う。こういう風に思考を語れる人間はとても好きだ。言語学者だから言葉の使い方がうまいのかな、なんて思ったりもしたけれど、おそらくは無関係だろう。大部分はやはり、人格的なものから来ているのだと思う。▼帰宅直前に厄介なクレームを受ける。そのせいで終電を乗り逃してしまった。傘とウイダーインゼリーを買って一駅歩く羽目。