疲れていた一日、と記録しておこう

▼前項は前置きである。そのあたりを踏まえて、今日は疲れていた、と書こう。それをあまり言いたくはない、とはやはり思ってしまうのだけど、この文章は『表現』であると同時に『記録』でもあるから、できれば嘘を記述したくないのだ。無論、今日は元気いっぱいの一日だった、なんて書いてしまえば、他人に与えるイメージという面でも、言葉は自己暗示になりうるという面でも、問題はなくなる。けれど、この文章は記録である、という面から言えば、問題は大きくなってしまうだろう。嘘の記録には基本的に意味がないからだ。なので、今回は、後者の面を優先させることにした。というかそもそも、前者の問題に対するこの文章が持つ影響力はそれほど大きくない、と私は考えている。こういう文章で『今日は疲れた』なんて書いても、読み手にネガティブな感情を抱かせるとは思えないし、その可能性も想定して書いているつもりだから、自己暗示に繋がる可能性も低いと思う。だから、記録として事実を書いておくことを選んだ。▼自己暗示じゃなくて本当に疲れていたな、と思えるのは、脚部の動作速度が明らかに落ちていたからだ。おそらく先週末と昨日の疲れが蓄積した結果であろう。痛みもあったし、反応も遅れていた。それでもその疲れを認めるのが嫌で(というか、その疲れが原因でほかの人に迷惑をかけるのが嫌で)動作をできる限りコントロールしていたけれど、なんにせよ、違和感があったのは確実だった。▼仕事は2時からで、店はかなりすいていた。昨日の混雑のあとだからだと思う。疲れによって動作速度が落ちていたことを考えると、かなりありがたい状況だったと言っていい。できるだけ普段のレベルを保ちつつ仕事をこなしていたつもりだが、あれ以上のレベルが要求されるようなことがあれば、かなりきつかっただろう。回復に要する時間も増していたかもしれない。▼余裕を利用して、新人の指導を行った。相手は朝番の新人で、予想外のところから質問してくる、なんて噂を囁かれている新人だ。実際何度か話してみて、そういう匂いを感じるところはあった。そして、その点を含めて、個人的には良い印象の人材だ、と言っていい。疑問が思い浮かぶ、というのは、基本的には良いことだと思う。聞き流していたり、無理解をそのままにしてしまうような人間ならば、質問なんてしてこないからだ。つまり、質問してくる、というのは、きちんと聞いていて、しかも、自分が理解できているかできていないかも考えている、ということを意味するのである。まあ無論、例外もある。しかし今回の新人は、別に例外ではないように思えた。多少器用さには欠けるのかもしれないが、それだってうまく働けば、十分有利な長所になるだろう。▼午後6時をすぎて夕番にメンバー交代。店長に頼まれた仕事を、スタッフに手伝ってもらって行う。いつも悪いな、と思った。感謝。▼帰りの電車のなかで、ここ最近ずっと読んでいた『あなたの話はなぜ「通じない」のか』を読了した。人と人とが通じ合うこと、について、真摯に誠実に賢明に語った本で、非常におもしろかったし、非常にためになった。その感想に迷いは微塵もない。さらに言えば、特にビジネス面における『そういった状況』に光が当てられていて、そのあたりも、今の私には都合が良かった。心の底から良書だったと言える。まとめを書いて、よりおのれの血肉としたいな、と思った。