封印再度(森博嗣)

封印再度 (講談社文庫)

封印再度 (講談社文庫)

▼友人の影響で再読。森博嗣氏の『犀川&萌絵(S&M)シリーズ』五作目であり、第一部の最終巻、らしい。その認識は一般的なんだろうか? まあ詳しくは私も知らないのだけど、これは、ソースをきちんと把握していない、と言うべきかな。起こる事件は、天地の瓢と無我の函、にまつわるもの。取り出せない鍵の入った瓢と、その鍵がなければ開くことのできない函。見つからない凶器は函の中に? そして死体は現場と思われる場所から三キロも離れた場所で見つかった!的な物語。▼目的のためには手段を選ばない(しかし尊厳には自覚的な)女性は嫌いではないかな、と思う。まあ無論、カッコの中が重要なのだけど……。だから、西之園萌絵は嫌いじゃない。むしろ好きだと言える。そんな萌絵と犀川の関係に、大きな変化が訪れる今回の物語。実際、物語の本質は『犀川と萌絵の関係』にあるのであって、事件なんていうのは、そのふたりの物語に対する魅力的な味つけに過ぎないのだな、と思わされる物語だった。ちなみに、おもしろいかどうかなんていうのは、再読だという時点で推測可能であろう。つまらないものを二度も読まない。▼ミステリとしてのおもしろさ、なんてものを重視してしまうところが、いずれミステリを駄目にするのではないか、みたいなことを森氏がどこかで言っていて、なんとなく納得したことがある。おもしろいけどミステリとしては微妙、というような評価に、違和感を感じることが多かったからだ。でも、私もどちらかと言えば、そういう言い方をする。から、反省、というか、ちょっと気にしたほうがいいのかな、と思う。まあすでにかなり気にしているけれど……。▼そういう言い方をしてしまうのは、ほかの人に対しておもしろさを伝えようとしてしまうからなんじゃないか、という発想がふと浮かんだ。自分がおもしろいと感じたものを、人にもそう思ってもらいたい――少なくとも、おもしろそうだ、と思わせたい。というような欲求があって、そのために、おもしろさを小分けにして届ける、という手段をとるのではないだろうか。ドラクエの好きな友人に対する、ドラクエみたいにおもしろかったよ、という言葉は、おもしろそうだ、と思わせるためには、有効なものであろう。それと同じだ。作品名がジャンルに変わっただけ。▼私は、ミステリとしてのおもしろさ(緻密さ、というか、騙し方のレベルの高さ、という感じだろうか)をあまり気にしないほうだと思う。登場人物が魅力的かどうか、というほうが、よほど重要だと考えている。無論、最低限の整合性は欲しいし、謎が魅力的であるならば、それに越したことはない。しかし、まるで魅力のない人物が語る素敵な物語を楽しめるかどうか、と考えると、それは難しいだろうな、と思うのだ。これがいわゆるキャラ萌え的な読み方なのだろう。もともとは生粋のライトノベル読みだったから、そのへんはしかたないのかな。