歳をとっても理想を追いたいとは思う

▼歳をとるということは、死に一歩ずつ近づいていくことだと言えるだろう。無論これはひとつの物の見方に過ぎないが、少なくとも嘘ではない。歳をとるということは、利用できる(ということを『生』の定義にしてもいいかもしれない)時間が減っていく、ということなのだ。人間はまあおおむねなんでもやれるけれど、なにをするにしても、時間は確実に消費されるわけだから、残り時間が少なければ、行動するのに必要な数値に、残量が達しないことだってある。だから、歳をとれば焦る、のは、当然なのだろう。▼なにかを話そうと考えて、その話をする前に、ある価値観の共用が必要だな、と考えた時なんかには、その前提部分をまず解説する。歳をとると焦るよな、という話が、それだと言っていい。▼言うまでもないことだが、理想を追うには時間がかかる。現在の状態よりも先にあるものが『理想』であるのは、定義的に確実なわけで、そんな『未来』を手に入れるために、時間がかからないわけがない。だから、歳をとると、理想を追いづらくなるのだろうな、と考えたことがある。残り時間が減少し続けているのに、残り時間を当てにするようなものを追えるだろうか、といったニュアンスの思索だ。理想と現実、という対比を利用するならば、現実は、理想と違ってすぐそばにあるわけで、そこからあえて離れようとしなければ、理想を追う時に必要になるような時間の消費は、必要ないわけだ。しかし、無論、いつかは死ぬ、と言ったところで、いつ死ぬか、はわからない。だからこそ私たちは生きていられるのだ、とも言えるだろう。明日確実に潰れる会社のために今日必死になれないように、いつ死ぬかわかっている人生のために必死になれるかどうか、も、微妙なところではないだろうか。という例示は浅慮かな……。まあいい。そう、とにかくわからないのは確かだ。そして、わからないからこそ、希望も見出せるんじゃないだろうか。▼歳をとっても、理想を追うことから逃げるような自分にはなりたくない、と思う自分がいたので、そんなような思索。だが、まとまりに欠けるのは否定できないところだ。