友人に前を向かせるための議論

▼世界に絶望している、なんて言葉じゃ装飾が過ぎるのだけど、実際に感じているのはそういうことにほかならないんじゃないかな、と思う。しかし、単に『諦めてる』と言うならば、無論それだけのことに過ぎない。期待は、今にはないものを行く先に見てそれが訪れることを待つことであり、実際、待っているだけで訪れてくれるものもたしかにあるのだけど、訪れてくれないものだってたくさんある。ただしそれは、大きく二種類に分けられる。ただ待っているだけでは訪れてくれないものと、どんなに行動しても訪れてくれないものだ。妖精なんていくら探したってどんなに努力したって、いない(なんか思いついたので一応。でも本当にいないかどうかは知らない。絶対いないという根拠はない)のである。▼飲みに行こうよ、と言われて思ったのは、またへこんでるのかもな、ということだった。誘いを承諾したのは、へこんでたら厭だからだ。▼なんというか、ここからはまさに私の愚痴である。最近の考え。なんでみんなもっと幸せを追求しないんだ? 自分にとっての幸せが何かをちゃんと見つめて、だらけないで手を抜かないでちゃんとそれに向かって頑張ってれば、それなりの幸せは掴めたりするんじゃないのか? もちろん運不運は確実にあるし、日本がお気楽な国だってこともわかってる。普遍的理論ではないんだろう。でも、甘えすぎだ。大事なのはやっぱり、自分にとっての幸せってのが何かってことを、少しくらいは考えることなんじゃないか? 単純化しすぎかな。そうなんだろう。けど、文句ばっかり言ってたって駄目なんだよきっと。人に期待したって駄目だ。自分の人生で操れるのは自分だけなんだから、自分の人生は自分で変えるしかない。まあ別にいいんだけどさ。ホントは全然良くなくて。いっつも思ってるんだが、俺は俺の人生をもっと輝かしたいんですよ。だから、みんなもっとちゃんと幸せになってもらわないと困る。手は貸すし愚痴だって聞くけれど、できることには限界があるんだから。▼愚痴を聞くのが厭だったわけでは全然なくて、飲んで話した今夜自体はとても楽しかった。でも、その問題を解決してあげられるわけじゃないし、問題解決に直結するアドバイスをしてあげられるわけでもない。むしろ、一緒にいたもうひとりの友人の方が、よほど現状をきちんと分析して話していたと思う。だからまあ、自分の無力さを痛感するのがつらかった。そのあとみんなで集まったカラオケに関しては、純粋に楽しかったけれどね。お疲れ様でした。