世界は称賛に値する

日記を書きます

▼空は美しい、とか、空を見上げると穏やかで広い気持ちを持てる、とか、そんなようなことはもう、口が裂けるほど(誤用)言われてきていて、今さらそんなことを言うなんて恥ずかしい、と感じてしまうような言葉だと言えるだろう。だが、それでもそう思うことは確実にあって、であれば(たとえ使い古された陳腐なフレーズであっても)言うしかないじゃん、というのが基本的な持論なのだけど、使い古されているのだ、という事実を認識して、新しい表現を模索することが、文化を広げる、というか、人間の持つ可能性ってやつなのかな、なんて思ったりもする。しかしなんにせよ、使い古されている、ということは、そう思った人間が多い、ということであろう。だから、私がそう思うことは全然おかしくないのだ。なんて結論づける論理は、当然、一般性の獲得が正当化に繋がる、という前提に立つもので、短絡だし、醜悪だ。なんてのは言いすぎか……。まあでも、空に対してなにも感じない、という人だってきっといて、そういう人と私ではたぶん、感情的な性質/メカニズムが違う。その違いが、少し、気になる。そういったメカニズムを持つ人が、どういう思考をするのか、とか、なにを美しいと感じるのか、とか、まあつまり、そういう《感性的な差異》全般が、妙に気になるお年頃なのである。ただ、単純に一般性への反発心から、そういったことを口にするような人間(結局モラルに縛られている不良みたいなものだ)の感性には、まったく興味を惹かれない。そういった感性は理解の範囲内だからだ。だが、一般的でないことを口にする人、というのは、大抵そういった感性を持つ人間なのかもしれず、だとすれば、その差を見分けるのは容易ではないだろう。