世界は称賛に値する

日記を書きます

▼最近知り合いのサイトを偶然発見することが二度もあって、あんまり具体的で珍しい名前を日記に書くと、そこからたどられることがある、という事実を、実感的に学んだ。世のなかには、ふと触れたものの名前をとりあえず検索エンジンに入れてみる、という、恥ずかしい人間が存在するのである。私もそのひとりだ。知り合った人の名前を検索してみたことすらあるし、その結果、その人物の書いた文章を発見したこともある。むしろ、ふと思いついたそういう行為にそれなりの結果がついてきてしまったせいで、癖になってしまった、と言うべきかもしれない。最近は、ちょっと申し訳ない、みたいな気持ちが先に立って、人物の名前を検索することなんかは少なくなっている。が、たとえばある人が属している団体があって、その団体に対して、どういうものなのかな、と思い、その団体の名前を検索してみる、というようなことは日常的に行うし、その程度では普通、誰かを特定できるような情報に行き着くこともない。しかし、その団体が小さなもので、その言葉自体がウェブ上にあまりない状態だと、必然的にその個人のそばまで(情報的に)近づくことになる。さらにそこで、安易なハンドルネームやペンネームを使っていたり、たとえかなり一般的なものであっても、特定の行動をとったことを記してあったりすれば、容易に個人を特定できたりするのだ。上司に怒られた、という出来事は、日本中にいくらでもあって、その情報だけで個人を特定することはできないが、ある建物のなかでそれが行われたことが記してあって、その建物のなかで《上司が部下を怒る》という出来事が一度しか行われていなければ、その建物の関係者には、個人を特定される可能性が高い。