世界は称賛に値する

日記を書きます

▼ギターがうまい、とか、ピアノに温かみがある、とか、ボーカルの声が重厚、とか、つまりはそういう感想が、私のなかには全然残らない。音楽に対する言葉を養う、っていうのはだから、そういう方向に耳を鍛えるということなのかな、とも思う。音楽を聴きながらただ漠然と、良い、とか、悪い、なんて考えている程度だから、結局言葉にもできないのであって、実際に音楽を聴きながら今までとは聴くポイントを変える(今までよりも楽器の音やボーカルの声を意識的に聞き取る)ことが、感想を変えることに繋がるのかもしれない。しかし、おのれのなかの言葉、というか、概念を養うことがやはり先に必要なのか、とも思う。それは、音楽に向き合う姿勢、というか、音楽を取り込む器、を鍛えるということで、それが結局は、聴くポイントを変えることにも繋がるんじゃないか? なんてモデルも考えられる。まあおそらく、やらねばならないのはその両者なのだろう。なにをするのであれ、理論と実践の、どちらだけが大切、ということはない。概念を鍛えて音楽を取り込む器を大きくする理論的強化と、実際に音楽を聞き込んで音楽そのものへの感知度を鍛える実践的強化の、どちらもが、音楽を語るためには必要、というわけだ。そんな難しく考えなくても楽しめればいいんじゃん? というのは、無論、大前提で。