世界は称賛に値する

日記を書きます

▼おおむね世界は美しく、楽しいものだ、と思うし、そう感じられている自分もまた(そう感じられている時点ですでに、感情的には高揚しているわけだから、肯定的に感じるのは当然かもしれないが)素敵だな、と思うことがある。まあ、自身に対して「素敵」とか言ってしまうのは少々過剰な気もするが、そのあたりは、そうでない時よりそうである時の自分が好きだ、程度の意味で認識していただければありがたい。とにかく、大抵の場合の私は、そんな方向性の思考を持って暮らしている。が、いまいちそう感じられず、むしろネガティブに、世界を捉えていることも時にはあって、そういう瞬間に、普段の自分との違和を感じて、自分のなかに《波》的なものを感じる、のだ。それがどうにも好きになれない。素敵だ、なんて表現している以上ほぼ自明なわけだが、私は、世界に対して《美しい》と感じている自分を、肯定的に評価している。理想の自分、という像を思い浮かべた時、そいつもまた、世界を美しいと感じている、と言ってもいい。世界に《美しさ》を見出せる人間であることを、私は本当にありがたく思っているし、そう思える自分になれたことを、今までの人生に対して感謝してもいる。だから、そうでなくなった瞬間の自分を、あまり肯定したいとは思えない。そして同時に、それをもたらす自分のなかの《気分の波》見たいなものを、許したいとも思えない。ある程度、しかたないとは思っても。