世界は称賛に値する

日記を書きます

刺激の水曜日

▼だいぶ昔から、自分のなかに《波》がある、ということに対して、許せない、と思っている。それは簡単に言えば、気分とか機嫌というやつが嫌い、ということだ。普段は意識していないのだが、時おり自分のなかにそういった性質を自覚する瞬間があって、そのことに気づくと、正直悔しくなる。たとえば朝起きて、食事をとって家を出て、通勤途中に駅で、ふと空を、景色を、世界を、眺める――そこで、楽しい、とか、悪くないな、とかいった胸躍る感情を覚えられる日もあれば、くだらない、とか、どうでもいい、などという、空虚な感情を覚えてしまう日もある。そして、その違いを作るものは、自分がなにを見ているか(目を向けた対象。世界)にあるのではなく、自分のなかにあるもの(観察者側の気持ちの流れ、バイオリズム的なもの)にあるのだろうと、感覚的にだが、思う。