世界は称賛に値する

日記を書きます

▼西澤保彦の『念力密室!』を読んでいて思ったのは、これらは明らかにホワイダニットの物語だな、ということだった。なぜならこの物語のなかには、どうやったのか? という疑問がほとんど存在できないからだ。それは無論、推理の前提に《念力を使った》というデータがあるせいである。方法が最初に解明されてしまっている以上、残る謎はどうしても《なぜやったのか》あるいは《誰がやったのか》という方向に向かう。そして、そのふたつの謎というのは、基本的にあまり無関係ではいられないのである。なぜそうしたのか、という《謎》の解明は、犯人にそうせざるをえない理由があった、ということをおおむね意味していくわけで、それは最終的には、そうせざるを得ないのは誰だったのか、という形に収束することが多い。というか、そもそも、犯人にひとりの人間としての個別性があるからこそ、最初にある《なぜそうしたのか》が謎になりうるわけで、誰だってそうするに決まってるじゃん、と言えてしまうような普遍的なホワイダニットなんて、謎にはなるまい。なぜそうしたのか、という《謎》は、犯人に特殊な事情があったからこそ存在する謎であり、その事情が推測できれば、あとはそれに適合する人物が犯人なのだ。