世界は称賛に値する

日記を書きます

▼小説のおもしろさは知性に全面的に依存するのか、という疑問はたしかにわかなくもない。しかし、小説は人間の知性の産物である、と言うことは可能であろう。なぜなら小説というものは、すべて、文章で構成されているからだ――つまりそれは、煎じ詰めれば小説の魅力は、文章の魅力に還元できる、ということだ。おおむね人は、小説を見て、文体やら世界観やら登場人物やらガジェットやらに《おもしろさ》を見出すわけだが、それらを生み出しているのはすべて《本のなかにどんな文章が並んでいるか》なのである。小説というものは(当然だが)まず文章があって、読者はそこから、世界観やら登場人物やらを読み取る、ということだ。がゆえに、小説の魅力は《どんな文章が並んでいるか》ということと直接繋がっている、と言っていい。そして、その文章を紡ぎだすのは《知性》なのである。だから、知性が、バイオリズム的な調子を持つとするならば、文章の精度もまた、その調子の影響を受けて揺れ動くものになるだろう。ってこれ、調子がいい時に書いたものはおもしろいし、そうでないならその逆だ、って言っているだけだな……。