世界は称賛に値する

日記を書きます

▼苛立ちというやつは、文章を書くうえではそれなりに役に立つ感覚だろう。なんて思考してしまうのは無論、苛立ち、と表現できるような感覚が今まさに私のなかにあるからなのだが、そのことはとりあえず置いておく。まあ苛立ちに限らず、強い感情というものはどんなものであれ、比較的アウトプットに結びつけやすい。私は、主義や信念的なものもあって、あまり腹を立てたりしないし、できるだけ立てたくないし、立ててしまっても表出させるのは極力避けるようにしているのだが、正直ここ数日だけは、頻繁にイラついてしまっている。その精神に対して、悔しい、というか、恥ずかしい、というか、そのあたりの否定的な感情を痛切に感じているのも事実だ。苛立ちの原因となっているものはほぼ同一のもので、何度か「まあいいか」と判断したにもかかわらず、ふとしたところで再燃してしまったりする。ほんと厄介だし、脆弱だ……、と思う。いらいらしていると、気を逸らしてその感情を緩和させればいいのにもかかわらず、逆にどうしてもそのことを意識してしまうことがある。むかつきすぎて頭から離れない! というような状態だ。今日も少しそういった状況に陥ってしまって、そのことが、八つ当たり(とても嫌い。やるのもやられるのもだ)的な行動に繋がってしまうかもしれない、と感じて、意識的に制御しつつ、帰宅した。しばらくして、とあるメールが届いて、笑った。なんというか、頑張っている人を見ていると幸せだよな、的な内容で、ほっとした、というか、力が抜けた、というか、幸せな気持ちになったのである。苛立ちもほぼ雲散霧消した。心底感謝したい。