世界は称賛に値する

日記を書きます

▼本を読む時にどういう心積もりで読めば、もっとも効率的か(効率的かどうかというのは、無論、目的があって初めて意味を持つ言葉であり、目的を背景にしてのみ、それを考えることができる、と言ってもいい。もちろん私の目的は《賢さの獲得》だ)ということに興味があって、ひとつに、自分が教師で、明日その本の内容を生徒に説明しなければならない、というスタイルで読むのはどうだろう、ということを考えていた。説明できることがすなわちわかっているということである、というようなことを言う人がこの世界にはいる。これは、そういった言葉を根拠にして生み出したモデルである。無論、説明できることがわかっているということだ、という言説が、絶対的に真実だ、とは言えまい。がしかし、ある面での真実は衝いているのではないか、とも思う。少なくとも、本を読んで人に全然説明できないひとよりは、きちんと説明できる人間の方が、その中からより《なにか》を獲得しているだろう、と考えることは不自然ではない。というわけで、しばらくはそういうノリで読書しようかな、と考えている。やはり読書ノートは必要かな……。