世界は称賛に値する

日記を書きます

▼美しさというのはかなりの部分が主観的なものだから、私が《美しい》と感じる人生がほかのひとにとってもそうだとは限らないし、逆だって当然同じようなものである。しかし、私がおのれの人生を見つめた時、自分でそれを《美しい》とか《誇り高い》とか感じられるかどうか、は、たとえば判断するのが、未来の――多少変化したであろう自分だとしても、ある程度予測がつく。だから私は、そいつ(未来の自分)が美しさを感じられるように生きたい、と願っている。それは、今の私が、過去の自分の選んだ《生き様》的なものを(経験不足で、怠惰なところや思考の甘さも確実にあったにせよ)比較的高く評価し、評価することによって過去の自分に対して感じることのできる《美しさ》を原動力として、より《美しく誇り高い道》を選択するためのエネルギーを生成しているからだ。