世界は称賛に値する

日記を書きます

▼冷静になるには普通、時間やらなにやらが必要で、言い換えればそれは、人は簡単には冷静になんてなれない(こともある)ということだ。だから、自分が明らかに《苛立っている》と自覚していて、それでいながら、ふと気づけば、いつの間にか冷静な気持ちになれていた、というような事態に気づく時、その冷静をもたらしてくれたものに大きな感謝を感じたりもする。たとえば私にとっては仕事がそういうものだったりする。私は仕事がわりと好きだ。細かく言うなら、デスクワークは実は心情的に多少好みから外れるようなのだが、それでも(だからこそ)やりがいを感じてはいて楽しいし、売り場での接客(接客業なのだ)であれば、自分はほんとに接客が好きなんだなあ、という心情の変化を自覚することすらある。それくらい私は仕事を楽しめている、のだ。そのおかげで、苛立っていたはずの精神が、仕事に夢中になることで、いつの間にかに平静のものへと移行していたことも少なくない。仕事も悪くないな、と苦笑する。最近もそんなことがあった。