毎日毎日、一つの文章を相手取る、とか

▼▼ある一つの文章を毎日推敲し続ける、って試みはどうだろうと思いついた。
▼▼連想というか余談として、同じ情景を毎日異なる文体で描写とか、同じ意味の話を毎日異なる文章で説明とか、いわゆる「文体練習」的な切り口とは異なる「同じと呼びうる文章ではあるけど、実際的に書いてるものは別」って道がありそう、とも思った。同じ単語使ってるけど違うものを描写してる、あたりは一つ思いつけた。▼▼同じ文章や同じ意味、と言えるだけの「同じ、の範疇内でブレさせられる」空間、を少し考えてた。
▼▼また文章の話してる……!(最近なんか妙に気に掛かっちゃうのだった……)
▼▼最初に話に戻ろう。
▼▼ある一つの文章に拘って、毎日、改稿を続けてみる、という実験──挑戦。
▼▼日記を書く、という一連の行為において、前日の日記の改稿を行なっている、という場面が、じぶんは最も好きで、極めて気持ちよく、こうして文章を書いてる理由の一つがここにある、とさえ言えたりする。強めに言いたがったりできる。改稿大好き!という趣味嗜好があるので、改稿ばっかり突き詰めていったらどうなるんだろう、と思って、一つの文章に拘り続ける十数年、というのを発想してみたのだった。
▼▼ある短篇を十一年書けて読み続けてみた、という宮沢章夫『時間のかかる読書』の志向も連想した。短い物語を時間をかけて幾度となく丹念に読み続けていく、というのと同じ狙いを、書く側に立って、ある言葉ある文章を幾度となく改稿していくことで、素敵な出来映えや、図抜けた境地に、辿りつけたりしないかな? と考えている。
▼▼思考や文章を日々一皮剥けさせていく、ということが可能かな?
▼▼文章や思考に対する、進化や改善、の話を進めようとすると、文章や思考ってものに対して「よさ」や「正しさ」を見ようとするのって実際無理くない? 数十年書きなおし続けて「よく/正しく」変質し続けてくれる、と期待するのは無謀すぎない? なんて思うところがあって、整理できてないなと考え直したくなったりもするけど……。▼▼昨日の文章と今日の文章、で、昨日より今日の文章がよくなった、と断言できる? 断言が可能になる基準なんてある? あるいは、基準を持ち込めば断言っぽいことはできるだろうけど、基準選びの妥当な──適切な──正当な、基準なんてある? ▼▼まあ、満足も納得もある手触りの時、あるけど……。▼▼よい文章、ってものを信じてないわけではないし。▼▼好き、って物差しにして、毎日好きなものにしてく、でもよいのか。
▼▼まあ、正しい改稿、よい変貌、と断言できるようなものばかりではないにせよ、最初に一つあった文章が、じぶんの頭脳の変節によって、見た目や意味を変えられていく、という変遷を記録していくのは、やってみたら好きだろう、とは思った。

時間のかかる読書 (河出文庫)

時間のかかる読書 (河出文庫)