世界は称賛に値する

日記を書きます

嫌いばっかり再検証

▼▼嫌いだ、嫌だ、と瞬間的に思ったものであっても、再検証することによって、誤解が解け、改めて好きになれたりする。再検証で勘違いや筋違いが見えてきたりする。
▼▼といった「再検証による印象変更」を、嫌いなものばっかりに向けて実行する癖をつけることで──使用を「嫌いなものと出会った時」限定のように偏らせることで、結果として、好きなものを、相対的に多くできる、増やせる、というズルめの技法は、まあまあやっているかな、と思った。


▼▼好き嫌いではなく、良し悪しについては、同じ比率で実行するというか、わりと行き来させるというか、区別しない趣味もいちおうあって、ここを偏らせていないでいられているからこそ、うまくやれていたりもしそう、とも思った。▼▼良し悪しの「悪し」ばっかり再検証するような調整だと──良し悪しの「良し」は素直に受け容れちゃう運用だと、破綻しそう(破滅しそう)な気はする。

インジーニアスやサントリーニで遊んできました(ボードゲームカフェ)

▼▼昨日はボードゲームカフェに行って遊んできた。の記録だ。▼▼今回遊んだのは『サグラダ』『ザ・マインド』『インジーニアス』『サントリーニ』の四つ。前から遊んでみたかった『サグラダ』と『インジーニアス』で遊べたのはほんとうに僥倖だった。『サントリーニ』で、特殊能力を駆使する遊びかたも今まで遊べていなかったので、今回遊ぶことができて、ここにも非常に満足感があった。ステンドグラスを模している『サグラダ』と、サントリーニ島の風景を模した『サントリーニ』、どちらも見目麗しくて、写真を撮るのが楽しかった、というのもあるかな。最優秀作品は『サントリーニ』だろう。特殊能力の駆使とぶつかり合い、びっくりするくらいわくわくした。


 ・サグラダ(初プレイ)
 ・ザ・マインド
 ・インジーニアス
 ★サントリーニ



サグラダ

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ザ・マインド

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インジーニアス

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サントリーニ

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浅草のリアル脱出ゲームに行ってきました

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▼▼リアル脱出ゲーム、というものに初めて遊びに行ってきた。リアル脱出は、一定の場所に閉じこめられるといった状況下で、謎解きなどをして楽しむゲームだ。リアルという言葉が付くやつは実際の部屋なんかを使って複数名で遊ばれたりする。遊びの一つとして着実に拡がりつつある印象は前からあった。高評価もちょこちょこ聞いていた。リアル脱出ゲームというものを絡めたイベントも最近は見かけるようになったかと思う。常設型の企画が常に遊べる専門の施設もあるようだ。
▼▼今回は「アジトオブスクラップ浅草」に行って「Escape from The RED ROOM」に参加してきた。ただただ赤い部屋に閉じこめられて脱出を目指す。六人まで遊べる企画だ。今回は別の参加者と合わせて五人での脱出になった。


▼▼ストーリーという要素が色濃い企画も最近は多くなっているようなのだけど、今回遊んだレッドルームは、ストーリーまるで無しの、純朴な謎解きだった。初めて遊ぶ、という状況に際して、ストーリー無しなのは、わりとよかったような気もしている(ストーリーがあったほうが初回でも楽しみやすい、といった面もありそうだけど)。


▼▼謎解きの詳細については書いちゃ駄目なやつなので、非常に面白かった~、という評価だけはきっちり書いておこう。難易度はほどよかった。すっきりした。今後、リアル脱出ゲームには定期的に遊びに行くことになるだろうな、とははっきり思わされた。好きそうな友人知人を誘いたくもなっている。気の知れたメンツで遊ぶ楽しさにも、だいぶ期待が持てている。という雰囲気で、大変楽しめた。まあ初対面同士で遊ぶ楽しさも別側面としてあるから、まあ、知り合い初対面とうまくメリハリ付けながら遊べればよい、とも思うけれど……。実際、今回一緒に遊んだ人たちにはだいぶ感謝していて、正直、同行者に恵まれたんじゃないかという雰囲気だった。噛み合ったというか、単純に、謎の解きかたが素敵だった。彼らがいなかったら解けないであろうところが多々あった。


▼▼謎解きを主体に活動されている会社や団体がいくつかあるわけだけど、少なくとも今回の遊びによって、SCRAPのファンにはなったかと思う。今後も遊びに行くのは確実として、関連書籍なんかも買ってみたいところだ。

realdgame.jp

見える景色の文脈構築

▼▼日記を書いているうちに「という気がする」と言えてくるような意識や認識の変質、幸せな匂いがするなあ、って思った(最近、気がする、って言いすぎじゃない?と思っていたので、よいところもあるんじゃないかな、って見直した)(見直すのは好きだな。見直すって二つの意味や側面を解釈できるけれど、いずれも好きだ)

名作に出会ったあとどうしたらまた名作に辿り着くのか

▼▼感動!感激!したような時に、同じ「媒体」であることを手がかりにして「同じ感動や感激との〈次〉の出会い」を探そうとする行為って──同じようなものが、同じ媒体を巡ることで、見つかるだろうと、楽観するのって、なんか、頭の働かせかたとして、素敵なのかなあ──妥当で効果的なのだろうか、と、一昨日の日記では考えたのだけど、とはいえ、同じように、作り手に還元して〈次〉を探すのも、テーマに還元して〈次〉を探すのも、どうなんだろ、って少し思った。
▼▼というか、特に、歌、については、前述のような疑問を以前から思っていたのを思い出した。ある歌に対して、好きだ!と思った時に、同じ歌手が歌っている「次の歌」に向かうのは、アリ、なのかなー。
▼▼歌手ごとにたいてい一曲くらいは「極めて好きな歌」があったりするし、逆に、特定の歌手の歌の、大多数が好き!という事例というのも少なかったりもする。ので、なんというか、歌手、というものを道標にしていくのって、違うんじゃないか──見るところが違うのではないか、と思ってしまっているところがあったのだった。可能性の話をするなら、もちろん「出会いはありうる」んだろうけど、なんか、無意識でランダムな出会いと比べて、期待値に違いを出せたりするんかなー、って疑ってしまうところがある。歌手ではなく、作曲家や作詞家に目を向けたらまた変わるところもあるのだろうか。
▼▼素材や要素、テーマ、などを道標に〈次〉を探す、というのもあるか。例えば、タイムリープ物が読みたい!みたいな切り口だ。▼▼なにかは手がかりにしないと、〈次〉を探す、って行動はできないからなあ、とも思えてきた。作家を、歌手を、作り手を、気にしたところで、同じような出会いが得られるとは限らない、という世界観のもと、偶然の出会いばっかりに頼っていても、それはもう、探す、ではない気がする。素直に考えて出会う確率下がりそうな気もする。
▼▼思考開始の契機を思い出したけど、天才的作品を創り出した天才が、次にもまた、天才的作品を創り出すことを、期待していいのか?という疑問がぼんやりある。

meltylove.hatenadiary.com

プエルトリコやブルームサービスで遊んできた(ボードゲームカフェ)

▼▼ボードゲームで遊んできた。遊んだゲームは『ストライク』『プエルトリコ』『ブルームサービス』だ。『プエルトリコ』と『ブルームサービス』という評価の高いゲームを同日に遊べたのは幸せだった。特に『ブルームサービス』は一回遊んでみたかったので幸せ感が強めだった。実際に非常に面白かった。『プエルトリコ』もだいぶ面白くて、まあ全体として、対戦相手に恵まれた、というところがあったかと思う。また遊びたいと強く思える顔触れだった。プエルトリコは悩ませる加減がほんとうに絶妙だなあということを改めて感じた。初見ですら迷うしやればやるほど迷う、という奇跡的な平衡がここに成り立っている気がする。『ブルームサービス』は五人で遊べたのが幸せのキモだったんじゃないだろうか。初対面ながらわいわい言い合える雰囲気が出来たのも幸運だった。強気か弱気かで攻めていくあのやりとりとメカニクス、切れ味よいなあ、って感激した。



 ・ストライク(初プレイ)
 ★プエルトリコ(オンライン版プレイ済)
 ★ブルームサービス(初プレイ)


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