世界は称賛に値する

日記を書きます

黒部ダムに行ってきました

▼▼地水火風のエレメンタルで思考するなら、かつては、水属性を特に舐めていたんじゃないかと思う。水使いという異能を軽んじていたり甘く見ていたりした。しかし、水の攻撃力も防御力も特殊能力も、のちのち、素晴らしいものだと判らされることとなり、結局は認識を改めることにもなった。といった、かつての認識ミスのことを、例えばダムを眺めるたびに、反芻させられている。好きな反芻ではある。
▼▼黒部ダムに行ってきた。長野県と富山県から行ける、非常におおきなダムだ。おおきいという評判だけは折に触れて聞いていた。建設にあたって多数の死傷者を出した、という説話と、多数の死傷者を出しながらも建設されたことで多くの人が救われた、という説話は、今回、初めて聞いた。現代、現状、では、おそらくもう出せない犠牲だろう。犠牲というものや犠牲という概念が持ちうる価値に対しては、ずっと迷いがある。年齢や環境ごとに異なる迷いを抱いている気もする。犠牲という言葉、犠牲という側面、ばっかり眺めて、このあたりのことを考えるのは、よくなさそう、というのも頻繁に思う。犠牲にもいろいろあるし、犠牲という言葉が見せがちな悪印象に引きずられるのもよくない。
▼▼現時点の状況の中で明らかなる犠牲を要求してくるような案件が出てきたらどうするんだろうな、どうすればよいのだろうな、というのは思った。時々思う問いではあるのだけど、実際にそうであったもの、というのを前にして、問題がおおきく迫ってきてくれたところはあった。問題が等身大になった。問題が身近なものになった。あるいは、問題の細やかなところが見えるようになった。拡大縮小めちゃくちゃだな……。
▼▼新幹線では読書を交えつつ、うつらうつらもしていた。テーブルトークロールプレイングゲームのリプレイをひさしぶりに読んでいた。読書はかなり面白くて幸せだった。遊びたくなった。新幹線を長野駅で降りる。立山黒部アルペンルート、という道のりに沿う形で動いた。▼▼北アルプス、立山、長野県、富山県、黒部湖、といった地名には特に馴染みがなかった。写真撮影はかなりした気がする。最近はやっと構図の調整で楽しみが深まるようになってきた。見栄えのするダムカレーを食べた。



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読ませてもらわないと一人生しか見えません

▼▼人の書いた文章を読む、ということを起点にして、人様の人生を想像しているところがある。人様の人生を実感しているところがある。じぶんの「これ」ではない人生がほかにもあるんだな、と認識できているところがあるなと思った。ということに、なんとなくほっとしていたりもするな、とも思った。ぼくのものではない人生がある、という思いによって、安堵したり、安心したり、している。ぼくのものではない人生がある、ということは、他者の存在を意味するし、人生の選択肢に幅があることも、意味する。世界は狭くないよ、という視界を垣間見せてくれる。
▼▼人様の文章を読まないと──人の言葉を見ないと──話を聞かせてもらわないと、ぼくのものではない人生、というものを、うまく思うことができていない、ということでもあるのかなー、と思って、不安な気持ちにはなった。でもまあ、そういうところはある気がする。異質な語りや言葉との遭遇や邂逅によって「この人生とは異なるもの」に思いを馳せられているところはあるかと思える。

ボードゲームカフェで遊んできました

ボードゲームカフェ 2018/09/14

・適当なカンケイ
・ルクソール
・クイビット
・スコットランドヤードカードゲーム
・ポケット&ビスケット
・ハグル
・ピココ
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会議2018晩夏

▼▼明るい未来が見えるかどうか、ということに関する中途半端さが、停滞や堕落を最近は招いているのではないかなあ、という疑いはあって、けれど、加齢とともに「明るい未来が見られるかどうか」に翳りも限りも出てくるじゃん、とも思えていて、とはいえ、死にも死後にも「明るい未来」など見えない、と言い切るのは、やりすぎなんじゃないかなあ、と考えてみたりも、している。明るい、っていう言いかたが駄目なだけでは、というふうに頭も働いたりする。明るいと言いたくなっているところは明るさじゃないものでもうまく埋められたりもするんじゃないだろうか。死や死後の交えた未来に対してでも似合う形容がありうるんじゃないだろうか。適切な形容が脳に置けていないせいで、不満、不快、に変換してしまっているところは、あるだろう、と思っていることは多くて、この変換プロセスのミスを、かなり怖れている、とは言える。ここばっかり鍛錬しよう調整しようとしてきた気配はある。いじるのが好きになっている。
▼▼比較的おおきな会議があって、多少、明るい未来が見られるような話も出ていた気がしている。逆に、見えなくなりそうな話もあった。まあ割合は不明だ。結果的に明るさが増したのか減じたのか、不明だ。といったことにまつわる迷いが、動きにくさに繋がっていく気もする。なんとなく切り口や話題が愚痴っぽいなあ。しかも迂遠だし。別に暗い話にしたいわけじゃないのだ。というか、頭の中が元気や平気の時であれば、暗い話にはしない。はははとかほほほとか思ってうまくやっている。昨今は忙しさも落ち着いて元気や平気の雰囲気なので、暗い話にはしないでよい。しないように決めている、とか、無意識的にしないようになっている、とか、書こうかとも思ったのだけど、しないでよい、と言い切ってしまうのが適切な印象だった。暗い話にはしなくてよい。好きな説明文だ。

懇親会2018晩夏

▼▼勤務後に懇親会があった。情景と会話と酒とつまみとおのおのの参加者にする認識を混ぜこぜにして、情感や情動が揺るがされるように、喩えよう、語ろう、というような意識が出てきたので、取り下げた(途中から雨も降ってきていたし、酒の記憶には様々な種類のものがあって、つまり酒の記憶から悲喜交々を呼び出すのって容易だったし、好きなのか嫌いなのか微妙な顔触れだったし、ってこともあって、いかなる「情緒」であろうと言おうと思えば言える雰囲気であった)(だから、言わなくていいんじゃない?と思えてしまった)。
▼▼情緒的に書きたい場面も書きたくない場面もある。情緒的に書いたほうがよいかなと思える状況も思えないなという状況もあったりする。情緒を交えないほうがよい記憶だと思えていることもある。ビジネスライク、淡々、という記憶のほうが、よい気はした。まあ逃げのような気配もありそうだ。謎説明、謎解析、謎付記、を書いているのが幸せな光景、というのもあったりはする。と思う。
▼▼親しくしようという意志は好きだ。正しさや善を見ようとしてしまっている瞬間すらある。全人類仲良しこよしに、明るさや輝き、美しさ、などを見ている。とはいえ、全人類仲良しこよしは人間が持つ頭脳や知性の限界を超えているんじゃないだろうか、ということも、おとなになって、想像はできるようになった。ので少し迷ったりもしている。頭脳、知性、認識、の限界、といった要素を、こどもの頃には想像できていなかった。理想や希望の中に組みこめていなかった。幼児から学生までの脳の機能増の中で「限界」など想定できるわけなかった、とも思えてはいる。当時は人間も人類も謎であった。とか言うと、今でも謎なはずである、と言いたくはなる。

都合よく権利を分かち合っていることにする(昨日の続き)

▼▼昨日の日記を読み返していて──
▼▼権利というものは、結局、概念や意識のうえで「ある」「存在を認める」とか言っておけば、実際の行使、やりとり、が、いかなるものであれ、侵害してないよ、って言ってしまえたりするため──いい顔してみせることが可能なので──言い張るような思想や文脈を形作ることが可能と言えば可能なため、皆で分かち合いましょう、各位の範囲内で自由にやりましょう、って、そりゃ言えるよな~、そりゃ都合よいよな=、とも思った。まあまあ整理し直した。

meltylove.hatenadiary.com