学習加齢シンクロ率

▼▼学ぶということによって、知識が増え、計算に慣れ、判断がうまくなって、認識が精密になる、というような「学習的な成長」というものと、時が経過していく中で肉体が大人びていく老化していく、というような「肉体的な成長」が、成長、といった概念や観念の中でシンクロ的に認識されてしまう、っていうのが、よくないのではないか、あるいはよいことなのかも、と思った。よいときもよくないときもありそう。


▼▼成長という言葉を聞いた時、成長と言えるような現象を見つめた時、なんかに、このあたりの区別ができていないぞ、しようと発想できていないぞ、と思ったのだった。


▼▼時間が人を変える──人が時間を使って変わる、といった背景の中で、同じものだと見做してしまっている。同列に見てしまっている。同期させてしまっている。


▼▼細かく見たら異なる現象が、一つの言葉の中に内包されてしまっている、っていう状態についても、よしあしありそうだなあ、って思った。まあ悪しき慣習に繋がっていそうな気もするし、素敵な活かしかたもされていそうだ。

ほぐし属性と固着属性の複合攻撃は中和しきれない

思い込んでしまっていて固定観念でがちがちになっていた認識や判断を、やわらかくしてくれて、刷新してくれて、新たな側面に気づかせてくれるような「ほぐし」の言葉、と、うまく言語化できていなくて、もしくは、微塵も言葉にできていなくて──つまりはぜんぜん理解できておらず、ぼんやりとしていた、曖昧模糊だったもの、について、理解や指針をあたえてくれたり、判ったような気持ちにさせてくれたり、言葉にしかたを教えてくれたり、するような「固着」の言葉、が、あるのでは、って最近は考えたりすることがあるのだけど、前述したような「ほぐし」と「固着」を「一つの話の中で」あたえてくれるような、言葉、および、そういう話を沢山くれる人、に、敬愛、あるいは崇拝や心酔、なんかを抱いてしまっていることがありそうだよなあ、というのも思った。同時に二つの快楽を受けると防御が間に合わないというか……。一度に防げるのは一属性のみというか……。