世界は称賛に値する

日記を書きます

学習加齢シンクロ率

▼▼学ぶということによって、知識が増え、計算に慣れ、判断がうまくなって、認識が精密になる、というような「学習的な成長」というものと、時が経過していく中で肉体が大人びていく老化していく、というような「肉体的な成長」が、成長、といった概念や観念の中でシンクロ的に認識されてしまう、っていうのが、よくないのではないか、あるいはよいことなのかも、と思った。よいときもよくないときもありそう。


▼▼成長という言葉を聞いた時、成長と言えるような現象を見つめた時、なんかに、このあたりの区別ができていないぞ、しようと発想できていないぞ、と思ったのだった。


▼▼時間が人を変える──人が時間を使って変わる、といった背景の中で、同じものだと見做してしまっている。同列に見てしまっている。同期させてしまっている。


▼▼細かく見たら異なる現象が、一つの言葉の中に内包されてしまっている、っていう状態についても、よしあしありそうだなあ、って思った。まあ悪しき慣習に繋がっていそうな気もするし、素敵な活かしかたもされていそうだ。

ほぐし属性と固着属性の複合攻撃は中和しきれない

思い込んでしまっていて固定観念でがちがちになっていた認識や判断を、やわらかくしてくれて、刷新してくれて、新たな側面に気づかせてくれるような「ほぐし」の言葉、と、うまく言語化できていなくて、もしくは、微塵も言葉にできていなくて──つまりはぜんぜん理解できておらず、ぼんやりとしていた、曖昧模糊だったもの、について、理解や指針をあたえてくれたり、判ったような気持ちにさせてくれたり、言葉にしかたを教えてくれたり、するような「固着」の言葉、が、あるのでは、って最近は考えたりすることがあるのだけど、前述したような「ほぐし」と「固着」を「一つの話の中で」あたえてくれるような、言葉、および、そういう話を沢山くれる人、に、敬愛、あるいは崇拝や心酔、なんかを抱いてしまっていることがありそうだよなあ、というのも思った。同時に二つの快楽を受けると防御が間に合わないというか……。一度に防げるのは一属性のみというか……。

ボードゲームで遊んできました2

ボードゲームカフェ 2018/08/30

▼▼昨日の遊んだ記録の続きだ。要素が多く比較的時間もかかる重い雰囲気のゲームを二人で遊んで、かつ負けると、極めて悔しい、ということを改めて学んだ。意外にあんまり二人で遊ぶというのはやったことがなかったのだよなー。初めておもむいたボードゲームカフェで、『ワイナリーの四季+トスカーナ拡張』→『ガイスター』→『クトゥルフレルムズ』、といった順番で遊んだ。初めてトスカーナ拡張というやつで遊べたので、なかなか満足できた雰囲気だ。そしてクトゥルフレルムズが意外にもかなり面白くて驚いた。なんとなく性に合わない偏見があったのだ。偏見よくないな。






ワイナリーの四季+トスカーナ(拡張)(拡張入りは初プレイ/2人)

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▼▼親から受け継いだワイナリーには、ほとんど何も残されていなかった。改めて、樹を植え、葡萄を作って、ワインを醸造していき、設備を建てながら、ワイナリー経営をおこなう。拡張版では、ボードが刷新され、できることが増える。バランスも調整される。不要カードを交換できるアクションが増えたのがよいところだとは聞いていた。確かに無駄が減った。確かに拡張あったほうが間違いなくよい、と言える雰囲気だった。二人対戦なので販促エリア奪い合いはあんまり活かせなかったな。しかも初プレイ者に負ける有り様だったので、改めて頑張りたいしだいである。悔しい。なんか負けた悔しさでぼんやりと評価下げてしまってる気がする……。
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最大【10】点中、いまのところ【5~9】点の印象があって、本日の評価は【7】点
bodoge.hoobby.net







ガイスター(複数回プレイ済/2人)

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▼▼初心者向けの極みみたいに言われるゲームだと思っている。将棋やチェスのような趣きだけれど、騙し合い、心理戦、ブラフとハッタリ、という要素が強い。赤い幽霊コマと青い幽霊コマを互いに四つずつ持っていて、それぞれのコマがどちらなのかは、相手側には判らない。相手が取ったときだけ相手にも判る仕組みだ。で、赤いコマをぜんぶ取ったら負けになってしまう。という中で、青い幽霊コマを相手の陣地の奥まで移動させたら勝ちになる(もちろん赤い幽霊コマをぜんぶ取らせても勝ちである)。なんか、判りやすすぎていつもなんとなく甘く見てるんだけど、遊び始めると面白くて、すごいな、と毎回思わされている。
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最大【10】点中、いまのところ【5~9】点の印象があって、本日の評価は【6】点
bodoge.hoobby.net







クトゥルフレルムス(初プレイ/2人)

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▼▼クトゥルフ神話を題材にしたカードゲーム。ゲーム自体を見かけたことはあったのだけど、デッキ構築、と言われるジャンルのゲームなのは知らなかった。デッキ構築は、場に並んだカードを買い集めて、じぶんの山札の中に織り交ぜつつ、山札と手札の循環を調整し、戦っていくゲームだ。初期山札は互いに共通である。ばちばちと相手を攻撃して正気度を減らしていく、という攻撃主体のデッキ構築ゲームで、バランスの機微まで読み取れるほどではなかったけれど、けっこう楽しい殴り合いができた。おお、おもしろいじゃん、という雰囲気になった。ちょっとまた遊んでみたいな。山札から除去するアクションがこんなに連発されるデッキ構築初めて見た、と思って笑った。
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最大【10】点中、いまのところ【5~8】点の印象があって、本日の評価は【6】点
bodoge.hoobby.net

ボードゲームで遊んできました1

黄色ボードゲーム会 2018/08/30

▼▼忙しさが落ち着きを見せてきたせいで、遊びたい、といった思想ないし観念が暴れ回り始めているご時世である。ボードゲーム欲を押さえ込めていないでいるのだった。という雰囲気の中、今日は、朝から遊び、移動して、夜も遊んできた。
▼▼最初の集まりでは『キングドミノ』→『キングドミノ+巨人の時代(拡張)』→『シヴィライゼーション 新たなる夜明け』→『白と黒で』→『はっけよいゲーム』という順番で遊んだ。▼▼二回目の集まりではボードゲームカフェを新規開拓しながら、『ワイナリーの四季+トスカーナ(拡張)』→『ガイスター』→『クトゥルフレルムズ』という順番で遊んだ。
▼▼ぜんぶだと長くなりそうなので前半分書いておく。後半分は明日の日記で書こう。。






キングドミノ(複数回プレイ済/3人)

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▼▼二つの地形が描かれたドミノタイルを獲りあって、配置、じぶんの王国を作る。配置時には同じ地形同士を繋げないとならない。描かれている王冠の数×繋がっている同じ地形の数、が得点になる。ワンプレイ30分かかるかどうかなのに、ほどよく悩ましいし、じぶんの王国が出来ていくのは楽しい。滅茶苦茶よいゲームだ、という認識を新たにした。
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最大【10】点中、いまのところ【6~10】点の印象があって、本日の評価は【7】点
bodoge.hoobby.net






キングドミノ+巨人の時代(拡張)(拡張入りは初プレイ/3人)

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▼▼最近発売された『キングドミノ』の拡張版だ。巨人がじぶんの王国を邪魔しにやってくるタイルと、じぶんの王国の巨人をほかの王国に押しつけるタイルが追加される。さらに得点源が増える。奪い合うタイルの配置ルールが変わったところが、地味ながらよい変更だったと思う。特に三人プレイだと必須かもなあと思った。巨人要素も悩ましいし、得点要素が増えるのも含めて、ほんとうによい拡張で、びっくりした。
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最大【10】点中、いまのところ【6~10】点の印象があって、本日の評価は【9】点
bodoge.hoobby.net






シヴィライゼーション 新たなる夜明け(初プレイ/3人)

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▼▼文明発展型というジャンルには憧れている。常に憧れていると言ってもよい。非常に評判のよいボードゲームもいくつかある。同種のカードゲームで遊んだことはあったのだけど(それでも大変面白かったのだけど)、ボードゲームとして、がっつり遊んだことはなかった。今回、初めて遊べたと言える。どうしたってワクワクしてしまう雰囲気があったなー。しかも、評判通り、ほんとうにさっくり遊べるゲームだった。中量級と言っても問題ないくらいだろう。遊びやすさも含めて大変よいゲームである。現状ではとても好き。物足りなくなる日が来そうで怖くもあるけれど。そのためにほかの文明発展型ゲームにも手を出してしまいそうだけれど。
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最大【10】点中、いまのところ【5~9】点の印象があって、本日の評価は【8】点
bodoge.hoobby.net






白と黒で(初プレイ/3人)

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▼▼裏面が白いカードと黒いカードを一枚ずつ配置していき、地形を作る。カードの表面には「地形がこの形になったら得点」という得点要素が書かれているので、その地形をひっそりと作りつつ、あるいは、ほかのプレイヤーの邪魔をしつつ、地形の形を少しずつ変えていく。描かれているクマによるボーナスのバランスがうまく掴めなかったなー。活かせなかった。非常に丁寧にバランス調整されている気配はあるので、そのあたりに気づけた時に、さらに感動しそうな気はする。簡単に遊べるしよいゲームだ。
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最大【10】点中、いまのところ【5~8】点の印象があって、本日の評価は【6】点
bodoge.hoobby.net






はっけよいゲーム(初プレイ/3人)

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▼▼相撲がテーマなりフレーバーなりなのか悩むところなのだけど、そのよくわからなさも含めて、なんだか笑ってしまいつつ、とはいえゲームとしてはしっかりしている、考えどころがある、というところにも笑ってしまった。はっ、け、よ、い、と書かれた四枚のカードを手番ごとに配置し、ルールに従って、のこったカードを取り合う。同種の二枚目三枚目のカードを出したほうが沢山のカードを取れるのだけど、全種類のカードが出揃ってしまったら自動的に勝負開始してしまうので、待っていると、そのまま準備ができずに終わってしまうこともある。勝負フェイズではのこったカードを出し合う。どうやって思いついたんだ、と衝撃を受けるゲームだった。面白い。
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最大【10】点中、いまのところ【4~9】点の印象があって、本日の評価は【7】点
bodoge.hoobby.net





▼▼現状の基準(boardgamegeekの基準を参考)。
[10]秀逸。常にプレイ。その意思が変わることは絶対にないだろう。
[9]素晴らしい。常にプレイしたい。
[8]とても良いゲーム。進んでプレイしたい。他の人にも薦める。
[7]良いゲーム。大抵プレイしたい思うゲーム。
[6]平均的なゲーム。楽しく、遊びがいが有る。プレイするだろう。
[5]平均的なゲーム。プレイしてもしなくても、どちらでもという程度。
[4]あまり良くないゲーム。付き合いで遊ぶ可能性はある。
[3]悪いゲーム。遊ぶことは無いが、 説得されれば遊んでも良い。
[2]非常に悪いゲーム。絶対にプレイしたくない。
[1]ゲームとしての定義を外れている。ゲームとして壊れている。

独りで漢字変換プロセスで遊ぶ

▼▼異字同訓、というものを、口頭で話している時に意識できているかは、あやしい、と思った。異字同訓という言葉も今回初めて認識したくらいである。いわゆる、会う逢う遭う、開ける明ける空ける、上げる挙げる揚げる、計る測る量る図る、粗い荒い、収める納める治める修める、歌唄詩、変える替える換える代える、速い早い、とかだ。意識できている時も意識できていない時もまあありそうである。場合による、というよりは、気分や調子による気がする。脳が元気な時は気にしている──気にすることで遊んでいる。
▼▼いずれにせよ、文字を手で「書く」時には気にしているかと思う。常駐プロセスだと言える。書く時はけっこう気にしているのに、話している時にはまるで気にしていない時があるな、と、今回は改めて思ったのだった。気にしない言語観と気にする言語観が、つまりは並立してんのか?って思ったのだった。並立しててよいの? 並立してるのが好きなのかな? とかも考えた。並立、っていう言葉を持ってこられないほど「別物」として認識している可能性も多少はあるかな、とも思った。


▼▼もし「漢字変換プロセス」を頭の中で使いながら口頭で話していても、相手には伝わらない。非常に伝わりにくい。実際のところ「漢字変換プロセス」を使っていても使っていなくてもほとんど同じだろう。漢字想像を完全に見捨てて諦めて「音声だけで伝わるよう話を調整する覚悟」のほうが、むしろ伝達率や伝導率を高める、んじゃなかろうか、とすら思える。
▼▼といったことを踏まえつつ、でもまあ、やりたいならやればよいのか、と思った。口頭で言葉を話す時に、漢字変換プロセスを、一人、手前勝手に使っているのも、よい。やりたいならやればよい。相手に伝わらなくても一人で遊んでいるのは自由だ。頭の中で勝手にしている独り遊び、手遊び、というようなものは、沢山あったほうがよい、あるだけあるとよい、と思ってはいるほうなのだった。

嫌な日

▼▼つまらない解説と説明を聞きながらぼんやり苛立っていた日だった。嫌な日だったと言えそうだとは思う。なんてふうに「嫌」とか書くのは珍しいので、書こうかな、という気持ちにはなった。嫌な日、と今日を呼ぶのは珍しい。珍しい行為、って認識しながら文章にしていくのは、だいぶ楽しい。珍しさに眼と頭を向けるのは、なかなか楽しい。あとまあ、解説と説明の違いは微妙である。解説のほうが専門的かつ詳細な印象があり、そういう印象を持ちながらは書いた。苛立つような解説と説明を聞いた日だった。詳細で専門的な話と、そうでもない話を聞いた日だった。でもって、帰り際に職場に寄って手伝ってから帰ってきた。手伝いだけ楽しみや幸せがあったかな。嫌な日~とか書いてしまうのはあんまり好きじゃないかなあ。だから普段は書かない。実際に嫌な日であろうと実際には嫌な日じゃなくてもなんでもいいのだけれど、ともかく、嫌な日、という言葉はあんまり書かない。現状のように、珍しいって認識したことによる快楽が「書きたくないな」という認識を上回った瞬間だけ、まあよいか~、っていう許諾を出してくれたりするところはあるのだけれど、でもまあ、稀な話だ。嫌な日、って言葉を書くと、嫌、と思っていたことを勘違いや認識間違いだったと思わせるための手段を探し始めてしまう──嫌、という判断を思い直させるための算段を立て始めてしまう、ところがある。嫌な日、と書いたところで、ぜんぜん前向きじゃないから、ただ精神的に消耗するだけだから、まるで得るものがないから、いまいち次に繋がらないから、等々のことは思えるわけだけど、でもまあ突き詰めると、ただの癖であり、癖じゃん、って思ってしまう。いろいろ思いついている理由がぜんぜん駄目駄目じゃん、って思わされてしまう。それはそれとして、そういう癖が、そういうじぶんの癖が、わりと好きではある。日記なら、じぶんの癖を見て、見ながら、好き、って書けるなあ、とは思っている。書いてもよい環境だ、って見做せていたりする。人様に読ませて素敵かどうか、面白いかどうかは、無論、微妙だけど、けれど、日記、ならば、許諾を出せそうな印象、というか、固定観念は、持てるかと思う。抱けるかと思う。日記という概念を自由っぽいところに固定させているところはある、なあ。嫌な日、って書いた時に、認識をじぶんでも気づかないうちに撤回させたくなるような癖に関しては──嫌な日、って認識しないよう遊べないか試してしまうところに関しては、言葉にしないほうがよかったのでは、って気もした。前述した、前向きじゃないとか得るものがないとか、いう、理由が、ぜんぜん好きじゃないからだ。納得していない。嘘ばかり書いている気になる。嫌な日って書くのを避けがちなのは、単純に、嫌な日、という概念が好きじゃないからだ。という言いかたのほうがよいよな絶対、って思えてきた。