世界は称賛に値する

日記を書きます

ゲームバランス世界バランス

▼▼テレビゲームなどを遊んでいる時に、これ、ゲームバランス悪いなあ、っていうようなツッコミをしていることがあるわけだけど、ほとんど同じノリで、物語内の異世界に対して、この世界バランス悪いよ……! って思っていることがあったりする。
▼▼っていうことについて、君は世界に対して何を知ってるねん、と思った(世界のバランスのよしあしなんて、よくツッコめるな……、と思ったのであった)。


▼▼哲学のもとで考えていると、ぼくがこの世界に対し「知っている」と思っていることって、ほんとうに、驚くほど、ぜんぜん根拠がないなあ、と思わされることがある、のだけど、でも、はっきりとした根拠を知らなくても、実際問題、生きていくしかないのだから、観測した範囲で、こうだろう、って見当をつけて、知っている風に生きていくしかない、んだとも思っていたりする。知っている、の範囲を狭めながら、「知っている」を使いこなしている。
▼▼実際に生きていくしかないこの世の中については、まあ、「完全無欠に」知っているわけじゃなくても、それでも、判る範囲でやりくりしていくしかないので、「知ってるよー」と言いながらやっていくのも、まあしょうがないか、って思ったりできているわけだけど(じぶんの知っている範囲で、この世界の「バランス」を、想定してみせる、っていう「この世の渡りかた」だって、当然アリなんじゃないの、って思えるわけだけれど)、でも、切実な実生活もなく、判ってるんだか判ってないんだかもはっきりしない「異世界」に対して、バランスが悪い、とか言っちゃえるのは──「バランス」までを想像できる気になれちゃうのは、なんか、駄目なんじゃないか? って思えたり、したのであった。



▼▼世界のことってぜんぜん判らない。だからこそ逆に、判る範囲で「判る」って言いつつ、こなしてゆく──、という、世界への、向き合いかた、付き合いかた、と、異世界に対する「判ってる」感、別物すぎるだろ、って思ったのだった。

世界みたいに見える

▼▼物語世界は、現実世界のひとかけらが投影されただけのものであって、つまり、一部のみが再現されている、というふうに見るのがよさそう、って思えた。▼▼でもって、一部が再現されているというだけで──再現された一部を観測したというだけで、人の妄想技能は勝手に駆動を始めてしまい、世界ぜんぶが存在するかのように、解釈し、認識してしまう。見做してしまう。構築してしまう。
▼▼という「言葉や絵による、世界の種」が脳内で発芽する瞬間、みたいなところは、面白いな、と思った。▼▼どんな物語も世界みたいに見える。変なの、ってまず思った。世界みたいに見えるってなんだろう、というのも思った。

ボードゲームカフェで遊んできました

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▼▼ボードゲームカフェ「コロコロ堂」で開催されていた夜コロに参加してきた。所持していないボードゲームで遊べる、っていう状況にはまだまだ新鮮味が強くあって、こういった場に遊びに行くのって素敵、という印象だ。『ネイションズ・ダイスゲーム』→『エルドラド島』→『支離滅裂』という順番で遊んだ。










ネイションズ・ダイスゲーム(初プレイ/4人)

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▼▼個人ボード上に書かれているサイコロを所持していて、まずはサイコロを振る。振ったサイコロの出目を使って、新たなタイルを獲り、個人ボードに(基本的には上書きする形で)配置する。個人ボード上の表示サイコロなどがパワーアップしていくため、使えるサイコロが増える、という拡大再生産。文明発展のフレーバーが楽しい。
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最大【10】点中、いまのところ【5~9】点の印象があって、本日の評価は【7】点
bodoge.hoobby.net









エルドラド島(初プレイ/4人)

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▼▼サイコロを二つ振って、資源獲得と移動量に振り分ける。移動でマップを拡げていって神殿を見つけ、神殿4つに供物を奉納できたら勝ち。建築物で移動を邪魔し、攻撃で建物や兵士を押しのける。資源を奪うことも可能。交渉もできるので、たぶん、真剣に勝ちを目指すなら、やらないといけないことがもっと沢山あった。
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最大【10】点中、いまのところ【5~9】点の印象があって、本日の評価は【6】点
bodoge.hoobby.net









支離滅裂(初プレイ/4人)

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▼▼前の人よりも強い一枚か役のカードを出して、強いのを出した人が抜ける。最後まで残ったり出せなかったりしたらライフが減る(二回までパスはできる)。手札を動かさずに、途中途中を間引いていくことで、役を作っていける、という趣向。出すカードを調整して役に近づけていく頭の使いかたが気持ちよい。
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最大【10】点中、いまのところ【5~8】点の印象があって、本日の評価は【6】点
bodoge.hoobby.net




▼▼現状の評価の基準。
[10]秀逸。常にプレイ。その意思が変わることは絶対にないだろう。
[9]素晴らしい。常にプレイしたい。
[8]とても良いゲーム。進んでプレイしたい。他の人にも薦める。
[7]良いゲーム。大抵プレイしたい思うゲーム。
[6]平均的なゲーム。楽しく、遊びがいが有る。プレイするだろう。
[5]平均的なゲーム。プレイしてもしなくても、どちらでもという程度。
[4]あまり良くないゲーム。付き合いで遊ぶ可能性はある。
[3]悪いゲーム。遊ぶことは無いが、 説得されれば遊んでも良い。
[2]非常に悪いゲーム。絶対にプレイしたくない。
[1]ゲームとしての定義を外れている。ゲームとして壊れている。

類似単語から切り取って貼り付け単語

▼▼優美、優雅、美雅、というような単語の並び、けっこう好き、って思っているなと自覚した(優美も優雅もそもそも区切るの難しそうな類似単語なのに、この二つの単語の差異を切り取って繋げた単語があるの、どう収まりつければよいの?って思っているの、好きな気がする)

人生クローズアップの型

▼▼環境と心情がおおきく変わってくるような瞬間にこそ、人生、というようなものがクローズアップされてくる印象はかなりあって、おおきな変動とおおきな動揺の中でしか「人生」を見ることができていない視座や観点、っていうの、あんまり好きじゃないな、と思ったりした。とはいえ、日常の中で普段から人生を実感できていること──人生にピントを合わせ続けられていること、ガン見していること、が、必ずしも、よい、ということでもないかとは思っているのだけど……。見たい時に見られるのがよい、って雰囲気かなあ……。結果として、見たい時、っていうのをどう既定するか、になるのかも……。じぶんがいつ人生を見たくて、見ていたくて、どうすれば、じぶんが見たい時に見えている環境を形成できるか、っていう問いは、面白そう、って思えた。
▼▼まあまあ非日常で異質な案件が起こった日で、驚きや困りを落ち着けるために、人生、というものをまじまじ見つめようとしていることに気づいて──こういう時の落ち着きのためにばかり縮尺変更を利用していることが多いなって気づいて、なんだか、こういう「見つめかた」というか「人生の利用方法」は、別に悪くもないだけど、でも「こういう利用しかしていない」のなら、嫌かも、って思ったのであった。

平均値経験則と中央値経験則

▼▼下限や上限がない数値の集まりならば中央値で判断したほうがよい、一定の範囲内に収まる数値の集まりならば平均値で判断したほうがよい、といった精度の話を見かけることがあるけれど──最近は気にすることも増えたのだけど、複数の経験から「この分野はおおむねこういう雰囲気か~」って判断している時の、印象作成プロセス、経験則作成プロセス、って、中央値的な解釈と平均値的なプロセス、どちらが使われているんだろうなあ、って思った(この分野は平均値が高いなあ、って思える時、と、この分野は中央値が高いなあ、って思える時、の違いを、見極められるだろうか)(下限上限や範囲内ということも認識できているんだろうか)。