世界は称賛に値する

日記を書きます

デモンワーカー、アンロックミステリーアドベンチャー、ブードゥープリンス、ヴィレッジオブヴァレリアで遊んだ(黄色ボードゲーム会)

黄色ボードゲーム会 2018/03/11

▼▼頻繁に集まっている場所の予約時間が変わっていて困った。まあ適合できるよう動けばよいだけなのだけど。軽く遊んできた。黄色ボードゲーム会。▼▼遊んだ順番は『デモンワーカー』→『アンロック ミステリーアドベンチャー:シナリオ2』→『ヴードゥープリンス』→『ヴィレッシオブヴァレリア』であった。Nintendo Switchを持ち寄って『Splatoon2』でも遊んだ。






デモンワーカー(プレイ2回目)

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▼▼悪魔の絵柄がよい。手軽に程よく迷える。ワーカープレイスメントに慣れるのに向いている。
──最高得点【10】点中、印象としては【5~8】くらいの幅があって、現状の重心は【7】






アンロック ミステリーアドベンチャー(第二シナリオ:ノーチラス号の罠)

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▼▼四人で遊んでいることが多いのだけど、けっこう「閃きどころ」が各自で違うよう遊べているので幸せだ。
──最高得点【10】点中、印象としては【5~10】くらいの幅があって、現状の重心は【9】






ヴードゥープリンス(初プレイ)

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▼▼名デザイナークニツィア氏の初トリックテイキング。こんな切り口がここにあったのか、という斬新じゃなさが素晴らしい。
──最高得点【10】点中、印象としては【5~9】くらいの幅があって、現状の重心は【8】






ヴィレッジオブヴァレリア(初プレイ)

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▼▼なんとなく場に嵌まらなかったかな? 印象が若干ぼやけている不人気だ。再プレイしないと微妙な気がする。
──最高得点【10】点中、印象としては【4~8】くらいの幅があって、現状の重心は【6】




デモンワーカー

デモンワーカー

アンロック! ミステリーアドベンチャー 日本語版

アンロック! ミステリーアドベンチャー 日本語版

怒られるのが嫌なだけでその行為自体に嫌と思っているわけじゃない、というわけではない

▼▼誰かの言葉が炎上的な注目を集めていたりして、でも、注目されていることを知らずに目にして、ほうほうなるほどねえ、そうだよねえ、と素直に素朴に納得してしまったあとに、はてなブックマークコメントなんかが沢山ついているのに気づいて、読んで、各位の「駄目出し的ツッコミ」を読んでみたら、ああ!ほんとだ!駄目だ!嫌いだ!っていうことが、判りやすく判ったりする。悪しき言葉や悪しき意識を説明してもらって、ようやく気づけることがある。▼▼という「初見では駄目なところ嫌いなところになぜか気づけない」が、じぶんの思考のついても、沢山あるだろう、という観念、予感や恐怖が常にあり、こういった日記に対しても、ありそう、と思っている瞬間が多々ある。実際に日記を書いている途中で気づいて書くのをやめることもあるし。

▼▼というような事柄と、炎上怖い、怒られるの嫌だ、というような事柄は、いちおう違う、っていうことも、踏まえておきたいな、って思った。いやまあ怒られるのが嫌だからこのあたりを嫌がってるわけなんじゃないぞとは思う(とはいえ実際は「怒られた経験の積み重ね」が倫理観や道徳心の根っこにあったりもしそうなのだけど……)

年一業務話

▼▼時代的な状況として現状よりも景気がよく「仕事に張りがあった」時期、というものの話を見聞きして、現状と比較してしまおうとしている時が最近はあるのだけれど、現状より景気が悪くて「ただただ仕事がキツかった」時期、というのだってあるはずで、比較してみるならいずれとも比較せねばな、と思ったりはしている。比較してみるならば、前後や上下に関して、同じくらい、比べてみせるのが好きである。考える量や考える時間を同じくらいにしたいと思っている。といった「同時間」を並置させた行動の中に、よさや狡くなさを見がちである。右見て左見て右見るなら、改めて左も見たいのである。結果として、行動全体がいくらか遅延しがちであり、挙動としては、俊敏さ、せかせか、や、あわあわ、を求めがちでもある。せっかち感が基本になっている。


▼▼業務に関するおおきな話し合いがあって、困難だ、難関だ、と思っていた。


▼▼商業的なうんぬんは嫌いじゃないほうではある。人類の叡智や頑張りがいろいろ織り交ぜられていて好きだ。人生の何割かは仕事が占めるので仕事を楽しくしよう、というような言説は基本的に好きだし、日常や生活の中で「仕事」と呼ばれる線引きをあえて行なうことなく分け隔てなく楽しんでいこうとしてみせる志向も比較的好きだ。
▼▼でもまあ、実際の近況で言えば、意識的に「楽しめる割合を増やそう」としても、あんまりうまいこと楽しくできないんじゃないかなあと思える環境的な下落と減衰が続いている印象があるし、下手に線引きをなくしてしまうと搾取的な構造などが出てきて無駄に削られてしまいそうな印象もあって、動きづらそう、と思っているところがある。変なふうに動くと、あるいは、積極的に変えようとしてみただけで、藪蛇になりそうな雰囲気もあって、防衛行動だけで済まそうとしてしまっているところがある。


▼▼言葉にすることで問題が整理できる、ということはある。文句や不満や愚痴、言い訳めいた話、をしてしまいながら、でも、書いているうちに、なんとなく抱えていたものを整理することができて、認識が改まった──決意が固まった──進路が変えられそうだと思えてきた、よ、というようなことが、時にはある。かと思うのだけど、こういう効果を目指してもよいんじゃないか、と、今回改めて思った。あんまり思えたことがない。特に業務や仕事に関してはないかな、と思った。これまで、文句や不満や愚痴を「整理できるくらい沢山」文章にすることがなかったから、かとは思う。なんとなく避けているところがあった。無意識的にも意識的にもだ。
▼▼仕事絡み、ビジネスまわり、に関しては、ごちゃごちゃぐるぐる思っていることがほんとうに多いので、愚痴や不平不満をあえて言う、くらいのことをしたほうがよさげだなあ、って思ったのだった。なんとなく小出しにさせているところがあったせいで、思考が頓挫している気がする。


▼▼後ろ向きな現状認識と前向きな意志、混在させるのは大変、というか、両立や並置させるのは困難だ、と、最近はまた、思うようになってきた──思う癖が出来てきた。このあたりのことに関しても、ぐるぐるしているし、ぐるぐるさせている気がする。螺旋というか回転というか、行ったり来たりしている。できそうに思えたりできなそうに思えたりしている。結局、気分や機嫌、調子による、のかも、とも思った。

コチラ側からアチラ側に言葉を届かせる時の、人に迷惑をかけないなら、という匂いを付け足す必要性

▼▼人様に迷惑をかけないならね、といった線引きが、正しさの匂いをまとっている光景は、頻繁に見かける。あまり好きな言葉の使いかたではなかったりもするのだけれど、迷惑、被害、苦痛、困窮などなどを、予防しようとするなら、言っておかねばなるまい、という判断があるのも、判る。正しさとして語っておく必要性も重要性も判る。
▼▼というような都合により、人類や社会における各自の主観のもとでは、たいてい、正しさを背負わされなくてはならぬ言葉なのである、と、改めて整理していた。▼▼ぼくの主観、ぼくからの発信、において、付け足さないと、困る。だから、付け足す。でも、付け足されないものもある。付け足されぬ言葉も存在しうる。といった整理であった。

言いかたはコンテクスト製造機

▼▼言いかたによる──言いかたってものがある──言いかたがよくない、といった種類の言説があって、言いかたと内容に関係はあるのだろうか関係なんてないのかな──関係あるように受け止めたほうがよいのか関係ないように受け止めたほうがよいのか、なんて疑問を持ったりしている瞬間もあるにはあったのだけど、言いかた、っていうのは、つまり、状況を形作り、背景を形作り、文脈を形作ってくれるものなのだろう、と、最近は思うようになってきた。なってきている。▼▼言いかた、というものが影響を与えてくるとしたら、つまりそれは、コンテクストに対してである、と判断するようになった。▼▼結果として「関係はある」と思うようになったってことでもある。