世界は称賛に値する

日記を書きます

とある概念の、緻密版と漠然版

▼▼写真の構図のことを「角度」くらいのものだろうとしか考えていなかった時期があるのだけど、前に、情報量の調整を行なうための概念である、という説明を見かけたことがあって、だいぶ、腑に落ちたりした。理解の角度と深度が変わった。認識が変質した。
▼▼っていうふうに、学習により数歩進んだところから振り返ってみると、以前の頭の中にあったあのぼんやりしたものはなんだったんだろう、って思えてきたり、する。あんな薄っぺらくて濁った概念を使っていたけど大丈夫だったんだろうか、と。今になって心配になってきたりもする。学問とか学習とかから、距離の離れた日常の中で、経験から、こうこうだろう、と想像している概念が、頭の中には沢山あるわけだけど、このあたりの茫漠とした概念、使ってて平気なんかな、と考えてしまう瞬間がある。


▼▼様々な分野を「専門分野」とし、頭脳と時間を集中させることで、人の持つ概念や理解や認識を細かくしつらえ直してくれているような人間が、人類内には沢山いて、茫漠とした言葉を打破してくれる緻密な言葉を編んでくれたりもしている。
▼▼といったあたりの、手分けしていろいろな皆で概念を再構築している雰囲気、世界のいろいろなところに概念の緻密版が散らばっている雰囲気、が、好きだなと思った。

メモアール、テラフォーミングマーズ(エリジウム)、ワンナイトマンション、ダイ公房、ボトルインプ、で遊んできた(緑色ボードゲーム会)

緑色ボードゲーム会

▼▼恒例化しているボードゲーム会がいくつかあり、毎度の遊戯会になっている。今日も遊んできた。じぶん含めて四人で集合。いつもの顔触れと言える。話題作の『テラフォーミング・マーズ』で遊ぼう、というのがおおきな誘い文句であったが、とはいえ、「ゲームマーケット2017秋」の直後の時期ということもあって、ゲムマの戦利品で遊ぼう、という狙いも混じっていたかと思う。
▼▼『メモアール』→『テラフォーミングマーズ』拡張入り→『ワンナイトマンション』→『ダイ公房』→『ボトルインプ』という順番で遊んだ。『テラフォーミングマーズ』は三回目だったけれど、二回目の人と初めての人も混じっていた。






メモアール(初プレイ)

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▼▼インディーズではなく海外作品で、輸入版がゲームマーケット2017秋で販売されていた。『神経衰弱』を初めとする「メモリー系」と呼ばれるジャンルの新作である。妙に話題になっていた。濃いめのゲーマーにウケのよいメモリー系があるとは……、メモリー系にまだこんな新しい切り口があるとは……、というような驚きがあったのだと思われる。実際驚かされた。同じ神経衰弱を七回遊ぶ、という切り口に対して、こんな味つけがあるとは、という驚きだった。同一の絵柄をペアにするのではなく、描かれている動物か、描かれている背景の、いずれかが合致すればよい、という遊ばせかたが一味効いていた。特殊効果の発動する上級ルールでも遊んだけれど、上級ルールも面白かった。ペンギンの好感度が上がってタコは嫌いになったけど……。
──最大【10】点中、幅としては【5~9】の印象で、現状の重心は【8】付近かな。






テラフォーミングマーズ 拡張エリジウムマップ(拡張エリジウムマップは初プレイ、プレイは三回目)

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▼▼流石に話題になっているだけある、という雰囲気があって、まわりでも非常にウケている印象で、遊びたいすねえ、という話題を頻繁に出されている。結果としてよく遊んでいる。プレイ時間が長めのものを、短期間に、三回、遊ぶ機会に恵まれたゲームって、比較的珍しい。おのおののプレイヤーが火星を開拓する企業を担当し、特殊効果カードを出しながら、火星開拓を進めてゆく。森林(酸素)、気温、海、の三要素を高めるごとに勝利点が増加する形だ。三要素が極まった時にゲーム終了となる。特殊効果カードが非常に沢山あって、カードゲームと呼ぶことも可能である。ボード上に、都市、森林、海のタイルを置いていくので、ボードゲーム要素はこちらになっている。特殊効果カードを使うゲームが好きなこともあり、また、類は友を呼ぶ的に、まわりにいる人達も特殊効果カードを好む傾向があるので、結果、大変ウケている。拡張マップであるエリジウムを手に入れたので、そちらを使った。企業カードも初めて使った。初プレイで、拡張マップと企業カードに馴染んで、二位を獲っていたプレイヤーがいて、驚かされた。世代ごとのカード獲得のドラフトルールも今回初めて採用した。
──最大【10】点中、幅としては【5~9】の印象で、現状の重心は【8】付近かな。






ワンナイトマンション(初プレイ)

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▼▼目を瞑る、という要素が正体隠匿には絡みがちだ。目を瞑るという流れがあるとちょっと緊張するというか、好き嫌いが分かれそうな印象があって、目を瞑ることなくプレイできる、という目的のもとで作られた「ワンナイトマンション」のことは、ずっと気になっていた。「ゲームマーケット2017秋」で買ってきた。同製作者の「スノーマンション」も以前に遊んでいる。ゲームとしては、役職カードをまずプレイヤーの一人が、二枚、手に取って、一枚をじぶんの役職として獲得し、残りの一枚をほかのプレイヤー一人に押しつける形になる。押しつけられたプレイヤーはそれを確認し、確認しつつ、もう一枚山札からカードを手に取って、二枚のうち一枚を、じぶんの役職にする。そしてまた、残った一枚をほかのプレイヤーに回す。というのを繰り返していく、のだ。じぶんが獲得せずほかのプレイヤーに渡した一枚は、その役職の人物が、向こうの(渡した相手プレイヤーの)部屋のほうに走って行くのを見た、という形で話されて、議論が為される。ワンナイト、という短時間正体隠匿の切り口として、すごくよいんじゃない? という感覚にはなった。よいゲームな気がする。嘘をつくことに失敗する場面が多くてなんとなくなあなあになってしまったので、もう一回、もっと多い人数等で遊んでみたい。好きな気配だ。嘘つき議論に忙しくて写真撮るのを忘れてしまった。
──最大【10】点中、幅としては【4~8】の印象で、現状の重心は【7】付近かな。






ダイ公房(初プレイ)

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▼▼最近のゲームマーケットの新作ではないのだけど、いくつか前のゲームマーケットで発売された作品で、気になっていたので、少し前に買った。サイコロを「釣り竿」と見做し、魚カードを獲得のために、サイコロを(釣り竿を)振って「条件を満たす目」を出してみせるゲームだ。沢山サイコロを振ったほうが条件は達成しやすくなるけれど、釣り竿を沢山持ち出すと動きが遅くなるので、少ないほうが「先に振る権利」を貰える。先に誰かに釣られたら、その魚での勝負は、負けになる。沢山釣った人が勝ち。10面ダイス、20面ダイス、を一つずつ貰えて、特殊効果付き釣り竿、として使用できるのが、だいぶポイントだった。使い分けと使いどころの見極めが面白い。上級ルールの「ルアー」ルールも面白かった。ぜんぜん勝てなかったけれど。
──最大【10】点中、幅としては【4~8】の印象で、現状の重心は【6】付近かな。






ボトルインプ(初プレイ)

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▼▼いわゆるトリックテイキングと呼ばれるジャンルの中で、名作と名高いゲームで、ほんとうに、ようやく、と言ってよい雰囲気の中、再販されて、日本語版が発売された。非常に長いこと廃盤だったようだ。プレミア価格にもなっていた。当然、それぞれで好みは異なるので、名作、傑作、絶版、プレミア、なんて言っても、別にプレミアが付くほどじゃない、わざわざ遊ぶほどじゃない、確かに面白いけれど、といった評判はあって、いろいろである。トリックテイキングというジャンル自体、好き嫌いがはっきり分かれがちな印象もある。とはいえ、面白いと聞いたら遊んでみたくはなる。ゲームマーケットで日本語版が発売されると聞いて、飛びつくように買ってきた。説明がなかなか難しいルールとゲームだ。それぞれがカードを一枚ずつ出して、最も強いカードを出した人が、場にあるカードを貰える。カードには得点が書かれているのでそれが得点として貰える。というのを繰り返していくのだけど、おおきい数字のほうが強い、というルールの中で、ちいさい数字も強くなる出しかた、というものがあって、しかしそれをしてしまうと、悪魔の入ったボトルが押しつけられてしまう。最後までボトルを持っていたら、勝利点を貰えないどころか失点さえある。という雰囲気なのだけど、ボトルの押し付け合いに関する「変動してゆくボトル利用のための数値」の動きのルールが、すごいよいのだ。ボトルが示す数字よりちいさいカードが強くなるのだけど、その数字が次第にちいさくなってゆく。というか、プレイヤーの思惑のもとで下げられていく。ここの「思惑」がすごく面白い。滅茶苦茶好きな雰囲気になっている。
──最大【10】点中、幅としては【3~9】の印象で、現状の重心は【8】付近かな。

二重の主観

▼▼重ゲー、という言葉がボードゲーム空間にはあって、これは、重量級ゲーム、という言い回しの短縮語である。重いとはいったい……?という問いを時々ぶつけられる言い回しでもある。実際のコンポーネントの重量や物量をターゲットにした言いかたではないからだ。複雑さ、あるいは時には煩雑さ、プレイ時間の長さ、悩みどころの多さ、ルール量の多さ、あとはまあ、実際の物質的な重さ、も加えつつ、複合的に判断される。▼▼印象的に、比喩的に、重く感じる、ということを意味した呼び名だ。重ゲーって呼びかたは曖昧だし主観的なので、やめません?といった議論も時々あったりする。
▼▼といったあたりのことを見つつ──
▼▼そもそも「重い」という形容は、主観的なのか客観的なのか、定性的なのか定量的なのか、ということを思った。▼▼あるものの重量の計測は客観的なものだろうけれど、軽重という物差しは主観的なものだろう。まずここに主観客観のグラデーションがあり、しかもそれに加えて、重い、という言葉を比喩として使い始めると、更に一段階、主観側に寄ってしまう、というか、一枚、レイヤーが奥まったものになる、と言えるような形状があるんじゃないかな、って思ったりもした。主観性が二重構造になってる?と言える?

直感や実感は気分と同等っぽい認識

▼▼「直感や実感」に従う──軽んじない──大切にする、といった指針があるけれど、「直感や実感」は「気分」とほぼ同じものではないかと思っているところがあって、気分に従う、気分に左右される、ということだと思っているところもある。考える──理屈を使う、という行為は、「気分」と距離を取る、ということだと思っていたりもして、これを裏返すと、「直感や実感」から距離を取る、ってことにもなってしまうわけだけど、「直感や実感」から距離を取り、このあたりとの間柄が素っ気なくなりいくらか冷え込んでしまうとしても、「気分」から離れる、のは、まあ大切かな、と思っていたりする。「気分」を所詮は気分である、と断じ、つまりまあ、多少は軽んじていることになるとは思うけれど、言うなれば優先順位を下げて、気分だけではないようにする、というやりかたが好きだ。ぼくの好きな世界観と言える。

名前の説明不足

▼▼なんらかのジャンル名をじろじろと見つめ直してみた時に、このあたりの特徴や要素の「共通性」に呼び名を作りたくなるのは極めてよく判るんだけど、流石にその単語だけじゃあ説明不足なんじゃないの? と思わされることが多々あって、でも、人類の「名付け」ってたいていそんなもんか、とも思ったりした。説明不足なのが「名前」のデフォルトじゃん、というか、ぜんぶ説明しないで済ますための「名前」じゃん、というか。なんか、突き詰めると、長い名前は名前じゃない、というところまで行き着きそうかも。

敏感鈍感ひとそれぞれ

▼▼例えばゲームにまつわる快楽で、人類全体が生理的に極めて敏感に認識するのでゲージがすぐに上がり下がりするところ、人類揃って鈍感なので多少変化させたくらいじゃぜんぜん上下しないところ、民族や文化、あるいは個人によって、敏感さ鈍感さがぜんぜん異なり、道徳観や価値観などにより変わってくるので、対象によって変化させ具合を調整しないと駄目なところ、の三種類がありそうだなー、と思った。素人玄人の違いも最後のやつになるだろうし。