▼▼欲望全体に対しての抑制、からの、飢餓や渇望、が、なかなか肝心っぽいぞ! というようなことを思うようにはなってきていて、このあたりの重要さや必須さを脳内に響き渡らせるために、標語として、ハングリー! という言葉を見せびらかしてみることも多かったりするのだけど、ハングリーという言葉を、空腹、食欲、と結びつけすぎているところが実はあって、結果、ハングリーという標語を掲げてみたとしても、空腹を目指したり食欲を我慢したりするところにしか繋がらなかったりすることも多かったり、する。
▼▼ので、欲望全体を「想像」させられるように調整しないと、とか最近は考えがちだ。
色からの思い出、思い出からの感情
▼▼精神状態が、目にしている色によって、変わる──影響を受ける、といった説話に対して、疑念を覚えていた時期があったのだけど、気持ちのよい記憶が想起されている時に嬉しさのようなものが湧いてきたりすることは普通にあるし、二度と手の届かぬ懐かしい記憶が想起されているような時にほんのり哀しくなってきたりすることもあるし、でもって、現在見えているものからなんらかの記憶が想起されてくることだってある、わけだから、このあたりのプロセスを踏まえるなら、視野内に存在する色彩が気持ちを変えてくること、というのも、まあありそうだよな、と、最近は思えるようになってきた。
ぼくの特殊さを通さないと君の特殊さを想像できないのか
▼▼人生の中の──じぶんにとっての、特殊な場面、特殊な力学、特殊な構造、特殊な気持ち、特殊な気づき、特殊な妄想、特殊な手触り、などなどを、丁寧に見つめつつ、このようなものが誰にでも──皆様にも、きっとあるのだろう、と、想像してみせる──、というようなやりかたで、人様に向かって働く「想像」の範囲を拡げようとしてみせることの──深く細かく豊かにしようとしてみせることの、よさ、正しさや美しさ、妥当さ、効率のよさ、などのことを、改めて考えていた。
▼▼逆に言うと──。▼▼ぼくの人生における、普通、通常、一般、などを活用して、人様や皆様のことを想像してみたとしても、不足、不具合、不明、不安、が漂ってしまいそうであり、ゆえに結局は、特殊なところ、鋭かったり狭かったり目立たなかったりするところ、を、通しながらじゃないと、人と人の素敵な関係、というものは、成り立たせられないのかもしれないな、なんて思って、若干の不満を持ったのであった。
▼▼特殊さ、奇抜さおかしさ珍しさ変さ、などなどをぶつけ合い繋げ合うことによって築ける眼差し、こそが、幸せに繋がる唯一の道なのだ、とまでは言わないにせよ、確率高めの道である、って言われてしまうと、少し、困るのだ。趣味としては好きな切り口かなと思えるけれど、いくらか困る。嫌だなあとは思ってしまう。唯一、は困るんだよなー。様々な道のりが幸せに繋がってりゃよいのに、とは思いがちなので。