世界は称賛に値する

日記を書きます

友情譚好きと重ねるようなボーイズラブ類推

▼▼友情譚がかなり好きだ。相棒モノ/コンビモノ/バディモノ、といった括りでカテゴライズされる物語が好き、という趣味嗜好もたぶん同じところが土台になっている。ヤンキーモノを好きになることが多いのも、同種、同列、同等の趣味嗜好が刺激されがちだから、という面があるかと思う。
▼▼友情譚を読みながら──眼前の物語を「友情譚」として読み取って、面白いよと熱を上げながら、この登場人物ふたりの、会話、人間関係、信頼、精神、かっこいいなー、美しい、好きだ、なんて思っている時に、現状覚えているこの感覚を通じて「ボーイズラブ」的な物語の素敵さを類推してしまってよいのかなー、なんて考えたりすることも、あったりはする。推測できるんじゃないかなと思ってみたり、いやしかし邪推ではないの? と逡巡してみることがある。▼▼まあでも、一部重なるところはある、くらいかな……。
▼▼ボーイズラブ的な愛のささやき、が、友情譚としての「美しい台詞回し」として読解可能だったりはする(こともある)んだろう、とは思える。どちらとして読むのが、正解とか妥当、ってことではないだろうし、ぜんぜん重ならない(どちらの側面も持つものとして受け取れない)ことも当然あるだろうし、このあたりの「重なる範囲」が両者にとって(両者としての)本質ということでもないかとは思うけれど(まあそういうこともあるのだろうけど、そうじゃないこともありうる)。
▼▼ボーイズラブ的な物語に、楽しいな!ってなってることもよくあるけれど、コンビモノやバディモノと「常に」重なるような「好きさ」で見ているのか、って問われたら、いや違う気がする、って言えてしまう雰囲気があるかとも思えてきたので、この問いの立てかたは微妙っぽいなー、という気分になってきた。破綻の様相を呈してきた。このあたりの感覚を通して類推したものを同じと見做すのあやういっぽいなー、とは思えてきた。

ワイルドゴールド、アンロック、プリンセスクラウン・フェアリーガーデン、ボーナンザ、ヘルメスの流儀、で遊んだ(黄色ボードゲーム会)

黄色ボードゲーム会

▼▼固定された顔触れで遊んでいると予定の流れも固まりがちだ。最近は各位の水曜日が空白になりやすかったため、水曜日に遊ぶことが多かった。今後は不明だ。皆様の都合がうまいこと重なってくれたのは僥倖だった、という話である。今回も沢山遊んだ。四人が参加(じぶん含む)。なんとなくひさしぶりのような気持ちもありつつ、いやいやじゅうぶん遊んでいるんじゃないの?という気持ちもありつつ、であった。▼▼『ワイルドゴールド』→『アンロック(シナリオ:ネズミとソーセージ)』→『プリンセスクラウン・フェアリーガーデン』→『ボーナンザ』→『ヘルメスの流儀』という順番で遊んだ。

ワイルドゴールド(初プレイ)

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▼▼斬新! アイデアがすっごく好きだ。よい切り口だと思う。マインクラフトよろしく素材カードの並び替えで、斧やツルハシ、トロッコや爆弾を製作する。製作したものによって手番でできるアクションが変わる。制作が楽しい。初級ルールと上級ルールが分かれていたけど、けっこう迷うところが多かったので、初級ルールから始めてよかった、とは思った。爆弾強すぎ、という気はする。でもほんとうに好きなアイデアだ。






アンロック(シナリオ2:ネズミとソーセージ)

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▼▼最近の傾向として脱出ゲーム的なボードゲームの流行がある。という中でも絶賛の声が連発されているゲームだ。いやもうほんとうに絶賛できる。絶賛にぜんぜん違和も異論もない。話すとネタバレになってしまうのも問題で、つまり褒め言葉しか出てこないんだけど、褒めといて損はないとも思う。シナリオ1は制限時間を突破してしまったけれど、今回は制限時間内に終えられた。難関二箇所、よく突破できたな、って思える。






プリンセスクラウン・フェアリーガーデン(初プレイ)

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▼▼ドミニオンライク、ドミニオンフォロワ、と言われがちなゲームの一つ。デッキ構築ゲームだ。同じ手札で全員始めて、追加カードを買っていく。取ったカードを含めて山札を作って、毎手番、五枚ずつカードを取ってアクションする。姫様を擁立し戴冠させるというフレーバーで、姫様の能力が独自性になっている。姫の擁立時にできる「直轄地」という概念が新しかった。確かにドミニオンとは別の楽しみがある。新しいかも。






ボーナンザ(初プレイ)

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▼▼けっこう定番気味のカードゲームだ。ボードゲームに嵌まり始めた頃から知っていたけど、遊んだことがなかった。豆を育てて販売するゲーム。手札を毎回「右端」から出していく。出して畑に植える。畑は二箇所しかなく、一つの畑には一種類しか豆を植えられない。ので、三種類目が強制的にやってくるのは厄介なのだった。というのを、交渉で回避できたりする。交渉でwin-winっぽくしてるのが楽しすぎて勝ちを見失った気はする。






ヘルメスの流儀(初プレイ)

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▼▼うろおぼえの説明で始めてしまったせいで、戦略面に関しても皆がぼんやりしたまま遊ぶことになってしまった気がする。申し訳なかった。もう一回遊ぼう、という気持ちはかなりある。最終的に、なんとなく面白さが見えてきた気がする、っていうところで終わってしまった。山札から一枚引いて、競り対象か、競り予算として、場に置く。というのを繰り返してゆくシンプルな競りゲーム。×2がキモっぽかったが掴みきれなかったな。


アンロック! 日本語版

アンロック! 日本語版

ボーナンザ 日本語版

ボーナンザ 日本語版

嫌いと思う理由、暫定三つ

▼▼見ていると決心や思想や価値判断が脅かされる(否定されている気持ちになる)、所有物や近親者や自分の身体面や社会面に害がある、嫉妬、の三つが「嫌う」──「消えて欲しい──去って欲しい──なるたけ近寄らないで欲しい、と望む」理由かなー、と整理した(嫌い/嫌う、ということを考えるにあたっての整理で、三つは思いつけた)。

言葉選びによるランティングフォーカシング

▼▼同じような言説であっても、単語や言い回しをあえて換えみせることにより、違う空気になる。ライティングが、フォーカシングが、変化して、異なる感覚を得られるようになる。難解な、異質な、見慣れない言葉を持ってくるのが好きな理由に、これがある。変なふうに言う、というエンジンを駆使することによって、違う「画」を作ろうとする趣味があるのだ。人様の話を聞く/人に話す、時の、面白さ、についても、このあたりに重心や主軸を置きたがっているところがあるかな……。

短期間に素敵を喰らわせられすぎると昂奮を抑制できない

▼▼え!あ!そうか!そういうふうに考えればよいのか!なるほど!というような驚きと閃きと新鮮味の混じり合った味わいが滅茶苦茶好きで、ツイッターなんかで人様の言葉に感銘を受けたり薫陶を受けたり啓蒙させられたりするたびに、ツイッターがあってくれてよかったぜー! とか思っていたりもするのだけど──一日のあいだに二個も三個も素敵な「なるほど!」に出くわしてしまった時に、強烈な「ツイッターってすごく素敵!」という褒め称えが発生するのを止められないでいるところがあるのだけど、輝かしい出会いが一日のうちに何個かばしばし続いたっていうだけで強く心を動かして褒め称えてしまうの、浅はかじゃない?甘くない?事実誤認じゃない?とも思った。
▼▼とはいえ、長期的あるいは中期的な「素敵の進捗」だけを「褒められる理由」とするのも、多少おかしな(めんどうな)話ではあるか……。短期および眼前の素敵の密度や濃度だけで褒めすぎるのも当然よくないのだろうけど、褒めない!と決めるのも微妙だ。あやうさを知っておこう、という注意喚起の話になるのかなー。▼▼危険性把握が、リスク管理が、つまりは浅はかさの対抗馬なのだな、というのは、最近まあまあ思っている。思うようになってきている。
▼▼無論、ツイッターという媒体に対してだけでなく、ほかの媒体に対して思うし、例えばブログや日記にも思う。素敵な日記を数日のあいだに何個か読めただけで──素敵と感激をまとまって喰らっただけで「ブログや日記ってあったほうがよいものだよね!!!みんな書いて!!!」とか思いすぎ言いすぎ。
▼▼ぽこぽこぽこと間断なく素敵さに出会わせ続けられると、受け止めきれなくてなんだかあっさりと感激と感動の波に呑まれる。が、運やタイミングの問題で、あと、媒体の特性と関係あるのか?という問題が絡んでいるところでもあって、このあたりを気にせず、浅はかに媒体を賞賛してしまうことの、駄目さや愚昧さや微妙さ、を思ったのだった。けっこうこういう気持ちの動きやってるよなー、と反省した話でもある(ここが起点)。

ブループリント、タギロン、センチュリー:スパイスロード、ドラゴンイヤー17、ロレンツォ・イル・マニーフィコ、で遊んだ(白色ボードゲーム会)

▼▼深夜にボードゲームで遊んだ。四人が参加(じぶん含む)。今回は相手が強敵揃いでぜんぜん勝てなかった。正直あんまり勝敗には拘らないほうだ、なんてふうにこれまでは思っていたところがあったのだけど、ほんとうに敗北ばかりが続くと想定よりも悔しさが濃くなる雰囲気ががあったりもして、なんだかんだでこれまではまあまあの比率で勝てていたから気にならなかっただけなんだな……、と思えたりもした。理解できた。いやもうほんとうに強かった。強い!というのはこういうことかー、と再認識したと思う。悔しさがあるなあ。再戦気分である。

白色ボードゲーム会

ブループリント

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▼▼サイコロを使って建築する。設計図通りに作る得点、資材(サイコロの色)による得点、極端な形状や組み合わせによる得点、というふうに得点源がいくつかある中、一人ひとつずつサイコロを取って、積み重ねていく。設計図完全無視!という雰囲気になりがちなところはわりと好き。得点システムが変、というところもけっこう好きだ。






タギロン

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▼▼質問カードで情報を得ながら、相手が持っているタイルを当てる。が、四人戦だと「誰も持っていない四枚」を当てるゲームになる。質問カードが相変わらず秀逸。出番が非常に多いし好きだ。しかしぜんぜん勝ててないな。見落としがたいていある。この「推理の隙」は普通に弱点なので、なんとかしたいところ。






センチュリー:スパイスロード

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▼▼スパイス商人となって、トレードしながらスパイスを集め、スパイスを払って勝利点カードを獲得してゆく。トレード(もしくはアップグレード)できるカードが場に並ぶので、獲得して手札にしていき、トレードの効率とコンボを狙う感覚になる。といった流れが非常に心地好い。最近のゲームでは抜群にお気に入りだ。判りやすいし。






ドラゴンイヤー17(初プレイ)

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▼▼中国では辰年は不幸な年だと言われてるようで、不幸な十二ヶ月間をなんとか乗り切るゲームだ。ほぼほぼ不幸なイベントが十二個並び、事前把握できるので、対処できる人材を雇いながら、乗り切る。ただまあぜんぜん「間に合わない」ので、どこで諦め、どこで抗うか、調整していく必要がある。強い人材は手番を遅くするあたり、素敵だった(印刷エラーのタイル混ぜて遊んでしまったので、改めてちゃんと遊ばねばだ)。






ロレンツォ・イル・マニーフィコ(初プレイ)

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▼▼絶賛ばかり聞いていた重めのゲーム。絶賛できる。遊んだあとだと「重ゲー」というほどかなあ、と思える遊びやすさがあった。ロレンツォ・デ・メディチに仕える貴族となり、じぶんの街を発展させていく。取ったカードを並べて、サイコロの目によっては「ぜんぶ一気に発動」とかできるところが気持ちよい。快楽感が強めな雰囲気だったけど、なんだかんだで苦しかった(リーダーカード入れないとけっこう苦しくなるらしい……)。

ブループリント 日本語版

ブループリント 日本語版

タギロン(TAGIRON)

タギロン(TAGIRON)

センチュリー:スパイスロード 完全日本語版

センチュリー:スパイスロード 完全日本語版

ドラゴンイヤー17

ドラゴンイヤー17

ロレンツォ・イル・マニーフィコ

ロレンツォ・イル・マニーフィコ