世界は称賛に値する

日記を書きます

錆びた認識を書いてみせるドッキリ

▼▼新鮮味は多少意識しながら日記の文章を書いているところがあるわけだけど、ユーモアやギャグ、あるいは「逆に」の精神で、じぶんの中で完全に古びている言葉、錆びついている認識、なんかを、がっつりと書き残してみたら、のちのちのじぶんが、混乱するだろうねえ、なんてふうに思って、この「あとで読み直す時のじぶんに対するドッキリ」みたいなものを、少しやってみたくはなった(まあ記憶から消えてくれればだけど)(消えない気がする)(読み直すとも限らないし)。
▼▼なんの変哲のないような日記が、その後なぜか、頭の中に残り続けることってあって、なんか、この思いつきは、それになりそうだな、って思ったので、日記化した。

複雑なところにある素晴らしきバランス調整、説明書読んだだけじゃわからない

▼▼数値のバランスが気持ちよい……! ここに4が、ここに8が、ここに16が、設定されていることが、このゲームのキモと言えるだろう……! っていうような感激を喰らわされることが、図抜けたボードゲームで遊んでいる時にはあるのだけど、この気持ちよさ、ここの面白さ、ここの素晴らしさ、説明書や解説から読み取るの無理なんすけど、っていう困惑や恐怖が、まあまああるかな。
▼▼数値バランスじゃなくて、インタラクション(相互作用)バランスに対しても、思うことがある、というか、細かく見つめていくなら、どのゲームについても、同じような「バランス調整のよさ」があるかと思うのだけど、こんな複雑なところのバランスまでよく考え抜いたな……! というような調整に、時々、出くわすのだ。そういうものについての感激の認識しづらさを怖れている、と言える。説明書を読むことで面白さが判るかどうか(というか、説明書を読んで事前に読み取るくらいしか、実際に遊ぶ前に面白さを理解しようとする案が、思いつかない……)、ってことについては、けっこう考えてしまうのだった。

軋轢音色

▼▼人間が無理せずに実践できるやりかた、人間の生体構造的にやりやすいやりかた、人間の文化が構築してきた洗練されたやりかた、等々にあえて抗ってみせることで、出せる軋轢的な音色、というのが、新しくて気持ちよかったりすることがあるけれど、いつしかそれにも飽きたりして、使い分けで楽しみ始めたりもするし、ここの音色の新しさや気持ちよさにフォーカス当ててもなー、という気持ちになってきたりもする。

頑張る限界

▼▼限界を思い知らされて、それを糧にし、あるいは知識にして、改めて、計画を立てるのが、よいのだろうな、というようなことを思った時に、限界というものを「ほんとうにへとへとになるまで頑張って、ギリギリまで尽力して、出せた、限界値」を知らねば、というふうに考えてしまうことが多いのだけど、自然体で、無理をせず、つまり、継続が可能な状態で、出せる、ギリギリ、というものをむしろ考えたほうがよいのでは──基準にしておかないと駄目なんじゃないかなー、ということを改めて思った。

▼▼ただ、でも、こういうのって、頑張らないでよい、と思わせるための理由と、ほんとうに背中合わせなのだ。使いやすすぎる。活かしやすすぎる。使いかたに気をつけようとか乱用は自戒せねばとか言ってても、頑張らないでいいだろ、と思えてしまっている瞬間が、沢山ある。と、まあ、こう書くと、頑張らないでよい、とは思わないほうがよい、と思っているみたいになるけれど、いやいや別に頑張らなくたっていいでしょ……、と思っているところは、基本なところにかなりある。
▼▼困るのは(困ったことになるのでは? と思っているのは)、まあでもそれでも、頑張らないと駄目そうな場面、というのが想定はできるじゃないすかー、ということであって、追い詰められたり追い込まれたりすることは、ありうるからなあ、ということでもあって、普段から頑張ることが当然だと、あるいは、普段から頑張ることが正義や道義に沿うことだと、言い始めたり言われ始めたりすることは、なるたけ避けたいのだけど、頑張らないと駄目そうだと「判断」「決意」できるなら、そりゃ、頑張れよ(というかそれしかないじゃないすか)、とは思うので、その判断ができなくなったり、適切に判断できなくなったり、判断してみせたあとにやりかたが判らず頑張れなくなるのは、まあ、困るよな、避けたいよな、とは、思うのであった。ここも改めて思った。


▼▼と試行錯誤を重ねていたら、ごちゃごちゃになったので、整理。
▼▼頑張らなくてよい、とはまあ思っていてよいんじゃない?と思うし、頑張らなくてよいと思わせやすくなる理由が立ってしまうのも、まあよいかと思ってるんだけど、そういうふうに思ってることが習慣化してしまい常態化しすぎてしまい、頑張る、という概念が頭の中から消えちゃったりするのは、ちょっと、困る、って気がしてるのだ。頑張る、という概念の使いこなしで対処できる現象、というものがある気はしている。

瞬間湯沸かし器的な快楽と身体性、残り続ける種火の精神性

▼▼瞬間湯沸かし器的な快楽が得られて楽しいと叫びたくなることもあれば、じりじりとした気持ちよさが胸の中に残り続けるものもあって、じりじりと維持されていた種火が時間の経過によってごうごうと燃え盛り始めることも、沸騰したあとになぜかぜんぜん熱が落ちないことも、あったりする。面白さや好きさの継続的な形状や構造って様々だ、ということを改めて考えていた。
▼▼瞬間湯沸かし器的な気持ちよさって、身体的っぽくて、じりじりと種火が燃え続ける気持ちよさって、精神的っぽいな、というのも、書いていて思った。