世界は称賛に値する

日記を書きます

「キングドミノ覚えたて大会」で遊んできた

▼▼高円寺にあるボードゲームショップ「すごろくや」で、定期的に開催されているイベントの一つ、「覚えたて大会」に行ってきた。「遊んだことのない人」限定の参加者たちが、やりかたの説明を受けて、簡単な競技形式の中で遊ぶことのできるイベントだ。遊ぶ対象としては高評価のボードゲームが一つ選定される。今回は『キングドミノ』というゲームが対象だった。日本語版が発売間近のタイル型ゲームだ。
▼▼まず『キングドミノ』は非常によいゲームだった、というのは思った。前評判通りであった。ほんとうにシンプルな形式で、説明10分、ゲーム時間15分、という状況で遊べるところが素晴らしかったし、手触りのよいタイルを使うぶん、ボードゲームというもので遊んでいる感が強めで、カードゲームなどよりも、独自性が出せる雰囲気だった。最初のほうに遊ぶボードゲームとしてのおすすめ具合、の話を見かけた記憶があるのだけど、ほんとうにおすすめじゃん、ここまで手頃なものが出てくるとはなー、って驚いた。
▼▼ビッグサイズの『キングドミノ』が置かれていて、面白かった。単純にモノがおおきくなって、躰を動かさないと遊べない状況になって、つまり運動量が増えると、思考が雑になる、なんとなく挙動がまばらになる、といったところが、これまた面白かった。
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減らないものと切り売りできないもの

▼▼大切な思い出を「切り売りして」文章を書く、的な言葉を思いついてから、別に、大切な思い出を「活用して」でよくないか?と思い直し、物理的/実際的に減衰してゆくものでないのなら「切り売り」なんて言わなくてもよいのでは……、と思って、このあたりの「減る」という指向はつまり、俗に言う「別に減るもんでもないじゃん」とか言われる時のやつと同じものなのかなあ、って思った。
▼▼思い出を持ち出すことが「減る」印象を与えるのならば、切り売りと言ってもよさそうで、活用できる気がするのなら、減るもんでもないって言えそう、的な整理だ。整理というか接続具合や接続関係のチェック?

無意識クトゥルフ神話

▼▼比較的身近なところにあることを理解しつつも、なんとなく距離を置いてしまい、あんまり積極的に知ろうとはしなかった「クトゥルフ神話」ではあったのだけど、結局、なんだかんだと日々を過ごしているうちに、少しずつ、着実に、見えるところや判るところが増えてきてしまった。小噺や単語や連想を聞いた時に、なるほどね、って思えるようになってきてしまった。▼▼というような、学習や摂取におけるプロセスややりかたを、丁寧に踏まえておくとよさそうだ、とは思った。無意識に学んでいけることの、実例、参考例として、見つめておく。やっぱり楽ちんだしなー。楽しめる範囲が増すのはよいし。効率的だという解釈も可能だろう。
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ラヴクラフト全集 (1) (創元推理文庫 (523‐1))

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ゲームシナリオのためのクトゥルー神話事典 知っておきたい邪神・禁書・お約束110

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月一会議、やる気と平穏の循環させかた

▼▼会議日。比較的おおきな変革の話があって、若干、不安だ。とはいえ、最近は様々なことの境目や交点に立たされている(立とうと思っている)気もするので、うまく潮時になってくれる可能性もあるかな……(誤用ではないほうの「潮時」(都合のよいタイミング、という意味)を、初めて使ったかと思われる。誤用だという認識が最近までなかったし)。▼▼まあ、前述したような雰囲気で認識しておくほうが精神安定としてもよいだろう。やる気と平穏の「比率」というか「循環」的なものを、最近は、だいぶ強く気にしている。悲劇を避ける通り道、とでもいうようなものを、そのあたりに(そのあたりの構成や編成、ありかたの中に)探している気がする。

物語が通説を運ぶ(破断)

▼▼物語が通説を運んだり作ったりしているところがあるんだろう、って思っていて、通説って粗雑な判断によるものがけっこう多い気がする、と思うこともあって、粗雑な判断が通説化することで勘違いを蔓延させるくらいなら物語なんてないほうがよい、と思ったほうがよいのかなー、ってふうに問いを立ててしまうようなこともあるのだけど、(あるのだけど、で完全に言葉が止まったので、ここでいったん終わる)