世界は称賛に値する

日記を書きます

物語が通説を運ぶ(破断)

▼▼物語が通説を運んだり作ったりしているところがあるんだろう、って思っていて、通説って粗雑な判断によるものがけっこう多い気がする、と思うこともあって、粗雑な判断が通説化することで勘違いを蔓延させるくらいなら物語なんてないほうがよい、と思ったほうがよいのかなー、ってふうに問いを立ててしまうようなこともあるのだけど、(あるのだけど、で完全に言葉が止まったので、ここでいったん終わる)

『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』雑感(神獣1つ)

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▼▼一日中「ニンテンドースイッチ」の『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』で遊んでいた。ここまでがっつり遊び続ける日、というのはわりと珍しいと言えるかなあ。でも『スプラトゥーン』に嵌まって以降、似たような流れの日は、なくもなかった気もするけど……。テレビゲーム機の前に座ってコントローラを握り遊び続ける、という状況、少し前まではけっこう少なくなっていた気もするのだけれど、Wii Uの『スプラトゥーン』と、次に遊んだPS4『グラビティデイズ』あたりで、おお! ゲームってやっぱり面白い! という気概が改めて醸成された雰囲気があって、なんか、その流れに、今回、『ゼルダ』ががっちりと嵌まってところがあるかと思う。『スプラトゥーン』は当然のものとして、『グラビティデイズ』も、大変堪能できる面白さ/素敵さであった。『ゼルダ』買ってなかったら『グラビティデイズ2』を即座に買っていたはずである。『ゼルダ』終わったら買うはずである。

▼▼『ゼルダ』はようやく神獣の一つに手を出したところだ。水のやつである。なかなか苦戦した。あと、ここでのボス戦を見たあと、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』の水の神殿のボス戦を眺める機会があったのだけど、あれ、なんかちょっと似てないか? ってふうに思ったりした。なんとなく意識されているところがあるのかもしれない(偶然や気のせいかも知れない)。

▼▼今回の『ブレス オブ ザ ワイルド』について言えば、一つの謎解きに複数の回答がある、ということが、なんかこう、腑に落ちる感じで──納得できる感じで、ちゃんと用意されている──実現されている、と、こういうふうになるんだなあ、ということを、かなり強く実感させられたりしている。謎に複数の解法を用意して提示してみせる、ということに関しての、手腕の、異様な巧みさを感じるのだった。これは、なんというか、謎解きに使えるアイテムの準備のしかた(それぞれの道具が可能にしてくれる効果の、距離の離しかた、カバーし合いかた)が、凄い、ということなのかなー、って思う。道具が可能にする「プロセス」はけっこうそれぞれに違いがあって、でも、道具が可能にしてくれる「結果」は、思いのほか近いところにあって、だから、なんとなく、違う解法/同じ結果、ということが可能になったりしている、ということに関する全体的な構造の、発想が凄い、というようなことを思っている。▼▼例えば「ドライバー」と「穴開けパンチ」が与えられていたとしたら、穴開けパンチ使わなくてもネジ回しで突き刺して穴を開けることはできる、みたいなことである。

▼▼あとまあ、同じような手触りを、マップに対しても、思う。複数の進行方法が可能になるように計算し尽くされている、という雰囲気がある。進むにあたっての、経路も、手段も、複数あるわけだけど、なんかまあ、どれを使っても、まあまあよい感じになる、面白い感じになる、ということに対する、計算を感じるのだった。いやまあ、オープンワールド、という形式はそもそもそういった計算のもとで作られるゲームだと思うのだけど、そしてまあ、たいしてオープンワールド的なものに関する知見の蓄積ってあんまりなかったりするので、体系的なことも比較的なこともたいして言えないのだけど、まあでもとにかく、遊んでいる時に、この位置から見下ろして、あっち側から攻めてみようと思うことも、こちら側に行って潜んでみようと思うことも、ぜんぶ想定されていて、しかもそれが楽しくなるよう計算されている、というふうに、すごく思わされる、のだ。それが想像させられる。ということが、楽しい、というのもあったりする。
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ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

相手の優先基準を把握、支配(しかし支配できないパターン)

▼▼面白ければよいじゃん、何事も面白くなければ駄目、というような形状で、単一の基準に物事を「還元させる」ことがある、というか、ある一つの基準をほかのものより「優先させる」ことは、まああるなあ、と思うところがあって、でも、いやいやそんな単純なものでもないだろ(単一の基準に還元させることで出せる納得感なんかに、あっさり惑わされているなよなー)、と思ったりすることもあって、とはいえそれでも、何かしらの基準によって何かしらの納得感を覚えてしまっているいることは、やはりありそう(「面白さ」によってなんでもかんでも「よし」とすることには納得できていなくても、ほかの「自分好みの基準」(美しければよい、善きものならよい、風雅ならよい、自己完結/自己満足できているならよい、とかとか)が使われていれば、わりと、まあそうねえ、って思いがちな瞬間は、ありそう)で、でまあ、そのあたりの、人それぞれが持つ「優先順位の高い基準」を把握することで、その人を理解したり支配したりすることが、まあ、できそうだったりもするのかな、っていう気もしたのだけれど、それと同時に、誰もがそんなふうに「基準」によってばかりで「判断」しているのかなー、あなたが大切にしている基準はこれですね? っていうことが判ったところで、ぜんぜん操作できない精神や思考、というものもありうるんじゃないかなー、ということも、合わせて思ったりは、した。

カメラにまつわる講座動画

▼▼以前から「Sony DSC-RX100だけで撮るブログ」をちょくちょく拝見している。カメラマンである伴貞良さんのブログだ。最近はYouTubeで撮影にまつわる講座的な動画も配信されていて、こちらの更新も楽しみにしていたりする。
vantherra.com


▼▼ある分野の学習プロセスにおける頻出問題に対して、熟練者がどう思っているか、というようなものを聞くのが、好きだ。いままさに歩んでいる最中の「入門者的主観」に対して、別側面や客観を加味してくれることが多く、新たな気づき、次の段階へ向かうための手がかり、に繋がってくれることも多かったりする、からだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=Pd0ts1uCmLQ&t=248s

初級、中級、上級、どうやって分ける?


カメラを買ったばかりの人に見てほしい動画です。 1 of 2


ピント合わせの話あれこれ 1 of 2



▼▼あとイルコさんの動画もちょこちょこ観ている。

順光・半逆光・逆光など、初心者でも使える、自然光でポートレート撮影の綺麗な光の選び方のポイント /イルコ・スタイル#018】/ Choosing natural light for portraits

歌を聞いた

▼▼ひさしぶりに集中して歌声を聴く瞬間があって、うーん、歌ってよいな、やっぱりよいものだ、と考えていた。歌手が歌う姿を生で見つめていた。▼▼歌、音楽によって、世界の──認識の、ムード、風情、たたずまい、が変わる。というか、ムード変更のスイッチとして使っているところがある。こういう扱いかたでよいのかな、と思うことはけっこうあって、こういう扱いかたが主である、こういう扱いかたしか知らない、というような前提の中で、歌が好き、音楽が好き、と言ってよいんだろうか……、と思っていたりもするところもあったりする。迷う。怖がる。でもまあ、誰にも判らないんだろうけど、とも思う。歌の正しい使いかたを誰に聞けるんだ、とは思う。▼▼愛と勇気と希望、でもって絶望の歌が好きなのは(歌の中にある愛と勇気と希望、絶望が好きなのは)まあ、変わらないな。